謂彼ノ長ヲ取リ我ノ短ヲ補ハンカ爲ナリ其ノ長ヲ取リ短ヲ補フハ 皇化ヲ萬國ニ輝カサン爲ナリ」とはじまつてゐて「明治二歳己巳正月、日本薩摩學生」と結んである。裏は英文の序文で、終りは同じく(1869, student of satuma)とあつた。ああ何といふ豁達なひびきであらう。スチユデント・オブ・サツマ!
 個人名もいれず・サツマ學生とだけ名乘る人々の胸を反らした面影が泛んでくるやうであつた。上海にあつて御一新のことに遭ひ、藩士として一應の始末に歸國しても、すぐまた海外へ渡つたこの人々の心には既に藩などはなくて、あるものは皇國、世界における日本であつたのだらう。
 私はすこし昂奮しながらI・K氏の家を出た。既に日暮れで癌研究所前から大塚驛の方へ歩きながら、嘉平の活字の行衞は益々紛亂してわからぬままに、少しも失望してはゐなかつた。このうへは手蔓をもとめて島津公の集成館へゆき、その遺品活字に見參することが、殘された唯一の手がかりであらう。
 しかしそれはさうとしておいて、私は考へねばならぬのだ。「江戸の活字」も木村嘉平だけではなかつたか知れない。電胎法による字母も完成されたのだ。しかも、しか
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