畫自體のうちに何かテクニツク以外のものがあるのであらうか?「八犬傳稿本」は二頁見開きになつて、刷り上りの同頁とならべて、脊のひくい硝子箱のなかに披《ひろ》げてあつた。私はガンバツて背後からおしてくる人波を脊中でささへたつもりだが、あれでも正味は一二分くらゐだつたらう。稿本は頁のまはりに朱色の子持枠がひいてあり、一方の頁の下部には小姓風の若侍が、一方の頁の上部にはながい袂で顏をかくした、頭をかんざしでいつぱいに飾つてゐる姫樣の繪があつて、一つの情景が釣合よく描かれてゐる。文字はその繪と繪の間をうづめてゐるが、つまり馬琴は文章と繪を一緒に描いたばかりでなく、同時に製版の指定もやつてゐる。出來上つた本と見比べても殆んどちがつてゐない。昔の小説家は自分で繪を描き、文章をつづり、子持枠までつけて、己れのイメーヂをこんな具體的な形で、たのしく描いたのであらう。
私は版木をさがしてみたが見當らなかつた。稿本が出來ると、版下屋が版下を描き、版木屋が版木を彫り、やがて雙紙などでみる、袂を手拭で結へた丁髷親爺の「すりて」が、一枚づつ丹念に「ばれん[#「ばれん」に傍点]」でこすつたのであらう。私は姫樣と若
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