にして、常に氏の相談役兼囑託醫として大いに――云々」と書いてゐるが、昌造は文政七年生れ、圭齋は文化十年生れで、圭齋が十年の年嵩だから「竹馬の友」は少しをかしいだらう。
そしてさらに圭齋より二三年を距てて、福澤諭吉らも「フアラデーの法則」以後の新らしい電氣學をまなんでゐることが、「福翁自傳」のうちで語られてゐる。「――或歳、安政三年か四年と思ふ。先生は例の如く中ノ嶋の屋敷に行き、歸宅早々私を呼ぶから、何事かと思て行て見ると、先生が一册の原書を出して見せて『今日筑前屋敷へ行たら、斯う云ふ原書が黒田侯の手に這入たと云て見せて呉れられたから、一寸借りて來たと云ふ。之を見ればワンダーベルトと云ふ原書で、最新の英書を和蘭語に飜譯した物理書で、書中は誠に新らしい事ばかり、就中エレキトルの事が如何にも詳に書いてあるやうに見える。私などが大阪で電氣の事を知たといふのは、只纔に和蘭の學校讀本の中にチラホラ論じてあるより以上は知らなかつた。所が此新舶來の物理書は英國の大家フハラデーの電氣説を土臺にして、電池の構造法などがちやんと出來て居るから、新奇とも何とも唯驚くばかりで、一見直ちに魂を奪はれた」。(九〇
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