昌造の卑い位置であつたらうことは當然で、しかもそのことで昌造の日本印刷史に占める位置については微塵の影響もあらう筈がない。ましてや記録の示すが如く「活字板摺立所」設立の具體的動機の一つが昌造ら購入活字にあつたことを思ひ、昌造が「蘭話通辯」の出版者、最初の「流し込み活字」創造者であることを思へば、印刷史的には赤沼の總裁より昌造の摺立係にこそ必然的な重要性があらう。
 三谷氏の「詳傳」が入牢否定の證にあげたやうに、昌造はこの摺立係時代に三つの著述をしたとある。安政三年に「和蘭文典文章篇」、同三年に「和英對譯商用便覽」、同五年に「物理の本」である。尚同四年には和蘭で出版された「日本文典」のために昌造は活字の種書となるべき日本文字をおくつたといふ。「日本文典」は長崎に一册現存するさうで、私はまだ見たことがないから、いづれ後半で昌造の書いた日本文字種字が何であつたかは述べる機會を得たいと思ふが、目下のところは假名か片假名かではないかと想像してゐる。また前記三著のうち「和英對譯商用便覽」も一册現存して、安政元年にイギリス船へも開港した長崎の商取引のため、若しくは蘭語から英語にうつりつつあつた時代に
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