兵衞」とか、「すりて、清兵衞」とか九人の名があり、「慶長廿卯三月廿六日」といふ日付が誌してある。つまり「はんぎの衆」の日當は一日米二升であつて、「すりて」は印刷工、「うへて」は植字工、文撰工その他一切の製版工に當り、「字ほり」は今日の活字鑄造工程一切の仕事に當るわけだが、これらの記録を通覽しても、「印刷」といふのが常住的に幕府の役柄としては存在しなかつたことがわかる。民間では出版物が非常に旺盛になつた江戸中期になつても、出版物檢閲の役柄についてはいろいろ記録があるが、幕府自身の常住的な印刷所についての記録はまだ知らない。
 川田久長氏の「蘭書飜刻の長崎活字版」(昭和十七年九月號學鐙所載)によれば、このときの「活字板摺立所」の總裁に赤沼庄藏、取締に保田愼作、今井泉三郎が任ぜられ「本木昌造の如きも活字板摺立御用係の命を受けた一人であつた」とある。總裁初め新たに任命されたといふ事實にみても從來にはなかつたことで、それが洋式印刷であるといふ點からも日本の印刷歴史上劃期的なことであつた。たぶんは幕府直參なり長崎奉行所配下の士分であつたらうと思はれる赤沼、保田、今井について私は知るところがないが、
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