考へにくい。しかも「揚屋入り」の形式の如何はとにかく、安政二年から同五年末に至る長期のある種の處罰は、「蘭書取次」といふ原因に相違はないとしてももつと深い事情がありさうである。
「――通詞の職にある氏は洋書の購入に便利があつた。殊に元來が大に西洋文物の輸入に努めて居た氏の事故、天文書を購入する序をもつて、内々開化思想の普及に力を盡したのであつた。」と「印刷文明史」は書いてゐる。また三谷氏の「詳傳」も、「本木翁が入牢説云々は「蘭話通辯」を印刷出版したることと、蘭書に因りて「和英對譯辭書」を著述せんとする企あることを密告せるものあること、翁が開國論者たることの世に聞えたる等に起因せりといふ」と書いてゐる。このへんは入牢肯定派、否定派どちらも「蘭書取次原因説」に共通したやうに、その原因の背景となる蘭學者としての昌造の性質や在り方を觀る點でも共通してゐるが、「詳傳」はさらに昌造の在り方を強調して「――先生は佐幕黨にはあらざるも、痛烈な開國論者であつたために一時は鎖國論者の非常な的となられ――當時長崎に本木昌造先生を刺さんと、夫等の志士が頻りに出入したために、身の危險を慮りて京洛に上り、一時某公
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