であらうか? 通詞としては「下田談判」以來の小通詞過人から生涯のぼることのなかつたのは何故だらうか? といふ疑問にも答へ得るものとはなつてゐないことである。
つまり肯定説、否定説のどちらも、その全部を信用することは出來ぬのであるが、假に判斷を想像的に延ばしてゆくならば、共通する原因の「蘭書購入」にもとめてゆかねばならぬだらう。「詳傳」の著者もいふごとく、それが「微細な」罪であつたかどうかである。前記したやうに安政二年の後半からは尠くとも表面的には「蘭書の輸入が間にあはな」かつたほどの時代であつた。そのために日本で最初の公許の「印刷工場」が出來た時代であつた。嘉永二年の「近來蘭醫増加致し世上之を信用するもの多く之ある由、相聞え候、右は風土も違候事に付、御醫師中は蘭方相用候儀、御禁制仰出され」た「御布令」の時代から見ると格段の相違があつたやうに見えるが、また一方では「長崎談判」の折森山榮之助が譯述して公用に役立つた英書を同じ應接係役人の箕作阮甫でさへが讀むことが出來なかつたやうな實情もあつて、それが嘉永六年の末である。また安政元年から二年まで同じく川路左衞門尉に隨つて「下田談判」へ參加し
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