本人によつて創られた最初期の蒸汽船はのろいながらも日本の海を進水したのであつた。
しかし昌造は蒸汽船製作の實際を何によつて學んだのだらうか? 弘化元年來航のオランダ軍艦「パレムバン」以來、いくつか蒸汽船は見たにちがひないが、通詞ではあつても外國軍艦などの機關部點檢などはそんなに自由ではなかつた筈である。同じ弘化年間に幕府はオランダに註文して、小型の蒸汽機關を註文したことがあるが、その頃の昌造は稽古通詞の若輩であつた筈だから、自由な便宜も得られなかつたにちがひない。文書により、あるひは人知れず模型などつくつて、豫てからの苦心の結晶であらうが、のろいながらも日本人だけで創つた蒸汽船が進水したことは、この時代として特筆すべきことであらう。蒸汽船ではないが洋式船舶建造の最初の歴史としてのこる戸田村の「スクーネル船」は翌安政二年であつたことを思ふと、「長サ六間」の「砲二挺」を備へた船が「深サ五尺四寸」しかなかつたといふことは、それだけに却つて自然のやうで、昌造や幸八の苦心が想像されるやうである。
二
昌造のつくつた蒸汽船雛型が「砲二挺」を備へた一種の軍艦であつたことは、「海防
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