する方策を定め、世を擧げて鎖國論に熱中して居たに拘らず、氏は心靜かに泰西の工藝技術を研究してゐたのである。」
 昌造在世中の友人、門人のこの感想も今からは三十數年前のことで、再び求むるに由ない貴重なものであるが、文章があまりに抽象的で殘念な氣がする。時代も天保十三年の「異國船打拂令改正」以前のやうにも思へ、また神奈川及び下田條約以後の、つまり萬延、文久頃の五ヶ國條約實施問題をめぐる攘夷論沸騰時代のやうにも思へて甚だ曖昧であるが、とにかく「眼中には最早渺たる一通詞の職はなく、世界の大勢に眼を注いで、心祕かに時機の到來を待つてゐた」とか「毫も之に心を藉さず」とか「心靜かに泰西の工藝技術を研究してゐた」とかいふへんは、嘗ての友人や門人やが傳へる昌造の性格の一面としてそのまま信じてよいだらう。つまり昌造はその頃の日本人が當面する大きな仕事として、海外の科學を吸收してわがものとすることに一切を打ち込んでゐたのであらう。
 そして彼のこの特徴的な性格は、「長崎談判」のときプーチヤチンから彼と楢林榮七郎だけに贈られた「書籍一册づつ」「ロシヤ文字五枚」といふ事柄や、ペルリの通譯官ポートマンから森山榮之
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