れの生死に拘るといひ、この上は筑後守(さきの長崎奉行で、次席應接係であつた)へ引渡して自分は取扱はぬ、つまり一切を白紙に還元してしまふぞといふところと、プーチヤチンが「御取極相成候儀に付――はからずも右等之次第――驚き入候」といふあたりの對比は、川路一個にとつての恨事であるばかりではなかつたらう。

      四

 日露下田談判のときも、通詞昌造の活動はあまり明らかでない。榮之助改め多吉郎は、このときもはや末輩ながら幕府直參だから、その活動が主體的に記録に殘つてゐるが、同じ通詞としてこのときはたらいた堀達之助にくらべても表だつた記録が尠いやうだ。ペルリの「日本遠征記」などには、當時の長崎通詞が殆んど殘らず記録されてあるのに、昌造だけがない。しかもペルリの通譯官として最も活動したポートマンが、特に昌造について注目してゐる前記の榮之助宛書翰を思ふとき、何かしら昌造の性格の一面がそこらにある氣がする。これはのちの話にもなるが、彼は通詞としては生涯「小通詞過人」から陞ることがなかつた。初代庄太夫以來世襲的な「通詞目付」として、長崎通詞最高の家柄であつた彼が「小通詞過人」から陞らなかつたとい
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