プーチヤチンのことを日本風には「布恬廷」と書いたから、その洒落をふくんでゐる。彼は日記の他のところで、「自分もプーチヤチンのやうに世界を股にかけ、四重五重の困難に遭つたらばプーチヤチンくらゐのえらい人間になれるだらう、何分泰平と鎖國の中にゐては眞の豪傑とは却々なれぬ」といふ意味の述懷をしてゐるが、當時にあつてこれだけの感想は、それだけでも値打あるものだつたにちがひない。
 毛色眼色はちがつても、豪傑は豪傑を知ることが出來る。日米、日露の修好條約文の調子にちがひが感じられるやうに、川路の太刀打は充分に自主性を護り得たものであつたと思へるが、その川路もまた時代の鎖國的な掣肘からは遠く出ることは出來なかつた。幕吏中の「新知識」もそれに災ひされて、思ひがけぬ窮地に陷らねばならなかつたのである。
 同條約文の第六條に、「若止むことを得ざる事ある時は、魯西亞政府より箱館、下田の内一港に官吏を差置くべし」とあり、同附録第六條には、「魯西亞官吏は安政三年より定むべし、尤官吏の家屋並に地處等は日本政府の差圖に任せ――」とあるのが、伊勢守の激怒する處となつた。「日米條約」の方にも第十一條に殆んど同樣の内容
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