、何よりも船だつたと察することができる。
十月十四日、プーチヤチンの軍艦「デイヤナ號」以下三隻は下田へ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]航してきた。筒井、川路らは同月十七日再び任命されて下田へ出張。十一月一日から「下田談判」は始まつてゐる。同四日には下田の大海嘯で一帶の大被害、魯艦一隻も大破損、のち修理をもとめて港外へ曳航中沈沒などの出來事があつて、會談は十二月二十一日までかかつて「日露修好條約」は成立した。箱館、下田、長崎三港をロシヤ船及び同漂民のために開いたこと。日露の國境はエトロフ島とウルツプ島の間、カラフト島は境界をわかたず從來仕來りの通りと決定。スパンベルグ以來百年め、ロシヤは漸く半ば目的を達したわけであつた。
この周知の「日露修好條約」文を讀むと、「日米修好條約」文とくらべておもしろい。國境問題を除けば、内實としてはどちらも殆んど同じ骨子であるけれど、「日米修好條約」文の「日本と合衆國とは、其人民永世不朽の和親を取結び、場所人柄の差別無之事」といふ第一條のアメリカ的な文章にくらべて、「日露修好條約」文のそれは至つて地味である。「今より後、兩國末永く眞實懇ろにして
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