港え相越候を相待候也」といふのがそれで、文中、箱館においてプーチヤチンから江戸老中宛に出した書翰といふのが、まだ出役中で江戸滯在の森山榮之助及び本木昌造兩人で飜譯したものである。「大日本國の執政に此一翰を呈す」とはじまつてゐるが、この飜譯文などは從來の長崎通詞の譯文としてはきはだつてハイカラになつてゐる。「我長崎の港に至りし度、日本政府の貴官に告しは、二ヶ月を經てアニワ港に赴くへしと。然るにロシア國とヱゲレス國フランス國との不和ありしに依て、我國の海濱を去り難きに及へり。――もはやその事果て、箱館に來り、此一書を江戸に送つて、フレガツトに薪水食糧を貯んとす。――日本政府の貴官と治定の談判を遂んかため、此地より直接大阪に赴くへし。――日本政府の望み江戸に於て治定の談判ありたしとならは其旨大阪に告示あらんことを乞ふ、速に江戸表へ來るへし。」
さらにこのプーチヤチン署名の書翰の日付をみると八月三十一日で箱館奉行へ呈出されたものであつた。私はこの緊急重大な書翰がどんな交通機關によつて搬ばれたか、蝦夷から江戸に何時到着したか明らかにしないが、恐らく「薪水食糧を貯」へて數日後に出帆した船足のはや
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