が「撃攘」となるか「和」となるか、複雜な事態にも思ひを及したらう。撃攘と和とそのいづれを望んだか、彼の日記にも明らかでないけれど、實際家である川路は、開國は必至、ただ國の安泰と面目を維持して、どう自主的にするかと考へてゐただらう。川路は江川や筒井らと共に當時の役人中新らしい政治家とされたが、必ずしもハイカラとはいへない。いはば深謀才能ある誠忠無二の武士だといへよう。彼は先んじて寒暖計や懷中時計を生活にとりいれた人だが、實際に便利なるがためであつたやうだ。同年十二月、日露の下田談判進行の際、魯艦が修理のため※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]航中颱風に遭つて沈沒したとき、日記にかう書いた。「十六日くもり。昨今にて魯戎之條約も大かたは片附くべし、この戎の存外なるは左衞門尉などの少もはたらきにあらず、一ツの不思議を證としてあぐる也、それは異船沈みたる一條也、――朝まで天氣のどかにて船頭共もよろしと申たれば曳船百艘ばかり附、二里ほど曳き參りたるに一朶の怪雲出で、船頭あやしとみる間に俄に西の大風起りて、山のごとき立浪きたりてフレガツトの城を水中に置きたる如き船をくるくる※[#「廴+囘」、第
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