通じてゐる「人間」として考へるときは、その範圍は更に廣くなる。榮之助改め多吉郎の「外國通辯方頭取」は、一種の外交官であるだらうが、堀達之助の「蕃書調所教授」となると、もつと學問的になつてくるやうに、のちの昌造の「長崎製鐵所頭取」となると、さらに範圍が廣くなる。つまり通詞といふ職に統一されて、同じ蘭語や、それぞれ多少の英、佛の外國語に通じてはゐたが、この開闢以來のヨーロツパとの國交開始に當つては、それぞれの人間的特徴をもつてはたらいただらうし、その特徴は分化する運命にあつた。しかも殘念ながら私はペルリ來航當時の昌造のはたらきぶりを殆んど知ることが出來ないのである。
しかしたつた一つ、私としては思ひがけないめつけものがあつた。「大日本古文書幕末外交關係書卷七」に、七月二十九日付の飜譯による、ペルリの通譯官ポートマンから森山榮之助宛の書翰があつて、その文面中、昌造がでてくるのであるが、それは「米通譯官ポートマン書翰、和蘭大通詞森山榮之助へ歸國につき挨拶の件」とあつて、「榮之助君え」と親しく書き出してある。
「私共今晝後、八ツ半時頃此所へ着船致し、サウタンポン船持越候石炭積請、可相成丈急き當
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