つた。わづか三ヶ月の差であるが、たとへば榮之助だけにみても、「長崎談判」のときの彼の活動權限と「神奈川條約」のときのそれとは比較にならぬほど廣汎になつてゐる。理由の一つには後者では條約が成立したこと、長崎とちがつて横濱ではそれが未經驗であつたことなどもあるだらうが、決してそれだけではないにちがひない。新らしい原因は、何よりも從來のやうに幕府役人の誰かが下向してきて「諭書」を讀みあげるだけでは事態が收拾出來なくなつたこと。相手方の通譯官といふのが同時に外交官であつて、「長崎通詞」とは比較にならぬ權限とはたらきを備へてゐることなどにも刺戟されたであらう。「長崎談判」以來の功勞で、在府中だけ帶刀御免をされた榮之助は、つづいて起つた同年末からの「日露修好條約」には、名を多吉郎と改め普譜役に[#「普譜役に」はママ]任用され、のち外國通辯方頭取となつたし、このときの小通詞堀達之助も士分に取立てられ、蕃書調所教授となつた。
これらは「安政の開港」をめぐつて、通詞らの職務がどんなに重要になつてきたかを示す證據であらう。しかも彼ら通詞を通詞としての職務からだけでなしに、外國語に通じ、外國文明に多少なり
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