る人々の場合は、嘉平の苦心談を探しだせばよいのであつた。
しかし私の主人公は、じつは昌造や嘉平やといふ個人を超えて「活字」といふ一つの文明器具、一物質の誕生にあつた。これは昌造や嘉平の偉らさと決して無關係ではないが、はるかに限界を超えてゐた。たとへば嘉平の苦心談は、その註文主島津齊彬の意志がなくては生れないし、齊彬のさういふ前代未聞の註文は、當時の對内外關係をべつにしてはまつたく判斷出來ないであらう。だからいくら昌造の偉らさを讚へたところで、嘉平の苦心を探しあつめたところで、それだけでは日本の活字は完全に生きることが出來ないであらう。
「いや、いや」
溝《どぶ》ツ川のくろい水面に、フツリフツリと浮いてでるメタン瓦斯の泡をみつめながら、私は思ひかへすのであつた。これは私の迷ひなんだ。よし私のやうな素人が、當時の複雜な對外事情に一年や二年首をつつこんだところで、その理解し得るところは高が知れてゐたにしても、やはり明治維新を産み出した當時の日本と日本人の力に全力をあげてすすまねば、日本の活字に血は通はぬのだと考へるのであつた。
さて、プーチヤチンの黒船が長崎を退帆すると、わづか九日めに
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