現したのはこれが始めてではない。前に述べたやうに、アメリカのオリフアント會社仕立船「モリソン號」が、江戸や鹿兒島で砲撃を喰つて退出してから八年めの弘化二年に、ペルリと同じアメリカ東印度艦隊司令長官、海軍代將ビツドルが來航してゐる。そのときも同國海軍長官の命令に基く行動ではあつたが、ビツドルの任務は「日本に通商の意思ありや否や」を確かめるだけだつたから、幕府の拒絶にあふとおとなしく退去していつたのである。
 だから「嘉永の黒船」「ペルリの來航」といつて、歴史的に喧傳される所以といふものは、船の形でも、長崎を無視して江戸灣にはいつたといふことでもなくて、浦賀奉行の報告にいふ「殺氣面に顯はれ、心中是非本願の趣意貫きたき心底」といふ、アメリカの意圖内容にあつたわけである。それは禁制の江戸灣へのこのこやつてきて追ひもどされた六十噸のイギリス商船「ブラザース號」とも、通商嘆願にちかいロシヤのラクスマンやレザノフらの遣日使節ともちがひ、「パレムバン」の「開國勸告」ともちがふ。それこそ傳統も法規も無視したところの、武力による「通商要求」であつたわけである。
 まつたく祖國日本にとつて重大な危機であつた
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