し、いま一つ加へて江戸の嘉平が白晝灯をともした室で、人目を忍んで研究せねばならなかつたやうな事情は、通詞の場合若干の役得はあつても、決してゆるがせだつたわけでもあるまい。
とにかく、今日から想像すれば異常に困難な空氣のなかで、何程かの活字がつくられ、「蘭話通辯」の幾册かが印刷され、「蘭話通辯」は和蘭本國にもおくられ、數年後昌造は日本文字の種書を和蘭におくる動機ともなつたとは印刷歴史家の傳へるところであるが、ところで昌造が最初につくつた日本文字は何であつたらうか? 當時の活字は殘つてをらず、「蘭話通辯」もいまは見ることが出來ない。もちろん圖書館にもなく、長崎にすら現存しないといふ。したがつていま私がたよりにする唯一のものは、三谷氏が「詳傳」のうちで「蘭話通辯」の所在についてたしかめ得た、次のやうな、嘗てそれを見た人々の答へだけである。
古賀十二郎氏
――「蘭話通辯」とは本木昌造が、和蘭から取寄せた活字を左の方にならべ、自分の造つた片假名文字を右に並べて、蘭語を譯したもので、紙は仙花を用ひ、表紙は黒い紙であつたか、布であつたかは判然と記憶にないが、兎に角黒い表紙で、百頁位な、美濃四ツ
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