數名を本國へ護送することで日本の歡心を得、間接には日本通商の下心を得んとするにあつたらうと史家たちは云つてゐる。單に漂民の護送ならば長崎で充分であるものを、避けて江戸灣にむかつたのも、和蘭商館の妨害を懸念したことが考へられるなど、理由の一つである。
しかしいづれにしろこの船は特殊であつた。その平和的使命を明らかにするために、モリソン號の一切の武裝を解除して、パーカーは醫療器械各種、藥品等のほか天文に關する器械、圖解などを携行、ウイリヤムズはまた博物學方面の資料を準備したと謂はれる。つまりモリソン號はその頃漸く支那において基礎を強固にしてゐたオリフアント會社の通商的野心から準備されたものであつても表面は漂民の護送、同時にヨーロツパ學術の紹介と普及にあつたといふことができよう。ところでモリソン號のかうした内容については翌年になつて和蘭商館長より長崎奉行宛への報告がはいるまで幕閣は何ら知る處がなかつた。江戸灣へむかつたモリソン號は三浦郡白根沖合に差しかかるや小田原藩及び川越藩の砲火をあびて退去。再び薩摩國兒水村近くに投錨したが、ここでも砲火をあびて一發は命中、危險に瀕したので、つひに得ると
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