ウニンとフオストフとは關係ないといふ釋明書を携へたリコルヅ少佐を伴つて、國後島へ歸還した。そこでオホツク長官代理は日本の要求に應じて、フオストフ事件の謝罪始末書を提出し、ガロウニン以下は釋放、レザノフ以來の紛擾が解決したわけである。
 嘉兵衞の努力は日露國交の危機を救ひ、あはせて日本人の面目を海外に顯揚したのであるが、レザノフは死んでもロシヤ側の日本の門戸をたたく熱意はかはらなかつた。リコルヅのオホツク長官代理を任命されたのは、ガロウニンの身柄を釋放するに必要でもあつたが、同時に「通商」と「國境協定」のための談判を開始する資格の必要からでもあつたといふ。リコルヅと松前奉行服部備後守との會見によつてロシヤ側の希望は江戸へ申送られ、囘答は翌文化十一年エトロフにおいてなすべきことが約された。幕閣の囘答は嘗て長崎においてレザノフに示されたと同樣であつたが、しかし翌年、日、露、蘭の三國語に認められた文書を松前藩高橋三平が携行、エトロフ、シヤナに赴くと、ロシヤの船は會見の場所に來なかつたのである。するとそれより四年後文政元年になつて同藩飯田五郎作なる者が、エトロフ海岸で偶然拾つた筐のなかにロシヤ官
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