ニンは本國の訓令によつて、千島及び沿海州海岸の測量中、六月エトロフにつきて薪水補給をもとめたが、松前配下石坂武兵衞の誘導にかかつて、彼以下六名が捕へられてしまつた。松前に護送され、文化十年九月まで獄中にあり、今日傳る「日本幽囚記」は、このときのガロウニンの手記であつた。これを一方からいふと文字と言葉の不通が媒ちしたものでもあるが、この悲劇はガロウニンから幕府天文方馬場佐十郎、足立左内らを通じて、ロシヤ語が日本に傳へられる機縁となつたし、嘉永年間の渡來に先だつて、種痘法がはじめて日本人の知識となる機縁ともなつた。
そしてガロウニンが釋放されるためには、つまりガロウニン少佐とフオストフ事件とは無關係だといふことを明らかにするためには、更にいま一つの「高田屋嘉兵衞事件」が生れなければならなかつた。文化九年八月、北方千島の航路を開拓しつつあつた嘉兵衞の觀世丸は、ガロウニンの同僚リコルヅ少佐の「デイヤナ號」に抑留されてカムチヤツカへ連行された。しかし嘉兵衞は歴史が傳へるやうに相手方の眞意を把握しうる程の人物だつたので、翌年四月まだ鎖された海氷を割りながら、新たにオホツク長官代理に任命され、ガロ
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