たが、海上暴風に遭つて目的を達し得ず、再び六年後の元文五年六月に、漸く日本本土を望見しつつ、牡鹿半島の長坂村沖合に達し、住民らと手眞似をもつて、煙草と鮮魚と交換したといふ――。
 私はスラヴ人の根氣のよさにおどろく。海軍中佐スパンベルグは、ベーリング海軍大佐を長とする極東探險隊の第三探險隊長で、ピヨトル大帝の第二次極東探險隊の一部であつた。これを溯るとベーリング大佐が「ベーリング海峽」を發見した第一次の探險隊は一七二五年にペトログラードを出發してをり、以來第二次探險で、一七四二年にコマンドルスキー群島の一つベーリング島で、壞血病をもつて瞑目するまで、前後十七年を費してゐる。そして更にロシヤの極東制覇を溯つてゆくならば、アラスカ經營、カムチヤツカ統治、沿海州のモンゴリヤ人種打倒と、ヨアン四世がはじめてヴオルガ河を渡つて東漸しはじめた一五三〇年に至る二百餘年の歳月があつた。
 これがロシヤ人が日本を訪れた最初である。スパンベルグの船が更に南下して、仙臺藩領田代島三石崎沖に假泊してゐるとき、藩吏千葉勘左衞門、名主善兵衞、大年寺住職龍門の三名は船を訪れて、その報告を次のやうに記録してゐる。「人
前へ 次へ
全311ページ中108ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング