創成の苦心も、開國の雪崩をうつやうな過渡的な容貌をおびてゐるのも自然であらう。ドイツ・マインツの貴族であつたグウテンベルグは、宗教上の意見から平民たちと衝突して、ストラスブルグに亡命した。そしてこの鼻つぱしのつよいドイツ貴族は亡命十一年間、獨佛國境の古都にあつて、心しづかに活字創造に沒頭したし、以後の半生ももつぱらそれに終始することができた。ところが「日本のグウテンベルグ」は、その生涯のほとんどを政治的動亂のうちにおかねばならなかつた。彼は活字のほかに造船もやらねばならなかつたし、自から船長もやらねばならなかつた。製鐵事業もやれば教育もやつた。そして「はやり眼の治し方」や「石鹸のつくり方」や「ローソクと石油の灯はどちらが強いか」などに至るまで、大童になつて宣傳しなければならなかつたのである。
そしてこの相違こそ、開國の事情を知ることなしには日本の活字が説明できない所以であらう。私は先輩友人に教へられて、江戸時代の海外關係史のそれこれを讀んだ。そして私らの遠い祖先と、當時の海の日本の、自分らの位置を知る氣がした。蝦夷地のむかふ、エトロフや、アラスカや、カムチヤツカの、氷に鎖された地圖の
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