するの必要[#「下級の官吏とも親交するの必要」に傍点]なることを實驗せり」と書いてゐる。
 ヅーフは策略ある人物だつた。名村、本木の二人を離間させ各個撃破するために、個々に呼びいれ、時計を與へたりして、これに成功してゐる。そしてこれは同時に通詞らの一般的性格を示すものかも知れない。さきに見たやうに庄左衞門ほどの人物が、ただ銀時計一箇に眼がくらんだばかりではあるまい。ヅーフにかかる策略をさせるところ、また通詞側にもそれに乘ずる特殊な空氣があつたのではなからうか?
 岩崎克己氏は「前野蘭化」で書いてゐる。「和蘭通詞が通辯飜譯の外に和蘭人の行動を、殆ど箸の上げ下しに至るまで、監視することを職務としてゐたことは「ケンペエル江戸參府紀行」に見えてゐた通りである。從つて罹病した和蘭人が内外の治療、手術を受ける場合にも、彼等は通詞等の監視を免れることは出來なかつた」と。つまりこれも、家光以來の方針が、「通譯官」であり「商務官」である通詞らにいま一つ加へて與へたところの役割であつたらう。
 通詞の食祿は尠い方ではなかつた。元祿八年頃で、大通詞銀十一貫五人扶持、小通詞銀七貫三百目三人扶持、小通詞並で銀三貫目だつたと「蘭學の發達」は誌してゐるが、それより降つて幕末期になると、「大通詞銀千百兩、米千九百六十升、小通詞一級銀五百三十兩、米千二百三十升、小通詞二級銀三百兩、小通詞三級銀三百兩」と「日本交通貿易史」のうちでシーボルトは書いてゐる。その他慣例によれば和蘭船の着く毎に、いろんな名目で「餘祿」があつたといふのだから、經濟的にはそこらの武士をはるかに凌ぐものがあつたと思はれるが、それと同時に、通詞らの過失や犯罪の處罰もまことにきびしく、たとへば天保八年に小通詞名村元次郎はサフラン二十五本をどうかしたといふ廉で獄門にのぼされてゐるし、前記した甲比丹ヅーフは本木、名村の兩人を各個撃破し、自分の目的を達するためには、二人の過去の小事實を長崎奉行へ密告して生殺與奪の權を自身で握つたことを「日本囘想録」のうちで得々と誌してゐる。
 まことに通詞とは機微な存在であつた。私は思ふのだが、「日本交通貿易史」のなかで述べてゐるシーボルトの次のやうな通詞に對する觀察が、もつとも正鵠を得たものではないだらうか。――通詞といふは手輕き名にて、しかも重要なり。その役柄はもつとも困難にして、諸方面に對しては腰を卑
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