學とか物理とか、英語や蘭語の辭典みたいなものが殆んどである。
「さア、たぶんないか知れませんよ。」
K・H氏も首を傾げながら云つた。私はすこし途方にくれた氣持になつた。あんないろんな仕事をした人物が、何の意見も理想も持たなかつたのだらうか? 私はいつか病院で三谷氏が云つた言葉を思ひだしてゐた。「本木は、つまり工藝家だネ、器用で、熱心で……」。そのとき私は不滿だつたが、やはりただの器用な工藝家なんだらうか?
「それから何ですネ、電胎法による活字字母の製作は、昌造以前にもあるんですよ。」
ぼんやりしてゐる私の耳許で、K・H氏が云つた。
「江戸神田の木村嘉平といふ人が安政年間に島津齊彬に頼まれてそれをやつてゐる。また電胎法のことは嘉永年間に川本幸民が講述してゐるし、たぶん實驗ぐらゐはやつたでせうな。」
これが證據だといふ風に、K・H氏は數册の書物を私の手に持たせた。一つは黒茶表紙の古びた寫本で「遠西奇器述」といふのであり、木村嘉平のことを書いたのは、片手で持ちきれない大きな本で「印刷大觀」といふのであつた。
私は私の主人公がだんだん箔が落ちてゆくやうな氣がしてゐた。主人のてまへ蟲の喰つた寫本を一枚づつめくつてゐるものの、少しも文字づらは眼に映つてはこなかつた。「ま、本木昌造の功績といへば、近代活字を工業化したといふ點にあるんでせう。」
私は心のどつかでしきりと抗はうとするものを感じながら、K・H氏のゆつくりと結論する言葉を聽いてゐたが、K・H氏の川本幸民や、木村嘉平についての説明を聽けば聽くほど、私の抗はうとする氣持は、よけい窮地に追ひこまれていつた。
「要るんだつたらお持ちなさい、ええ、ぼくはいま使つてゐませんから。」
私は「遠西奇器述」の寫本と、他二三の書物を借りて風呂敷につつんだが、それはたぶんに負惜みみたいな氣持であつた。私は親切なK・H氏に見送られて玄關を出たが、すつかり悄氣てしまつてゐた。
二
すこしばかり出來かかつてゐた本木昌造のイメーヂは、私の頭の中で無殘にくづれていつた。最初のうちは「遠西奇器述」の寫本など見る氣がしなかつた。私の頭の中には、白髮の總髮で、痩せた細おもての燃えるやうな理想と犧牲心とで肩をそびやかした昌造の横顏が、かなり濃く映つてゐたが、いまはぼやけて、至つて平凡な、少々手先が器用で、物ずきで、尻輕な、どつか田
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