いた第一期の西洋印刷文化は、二世紀後にはアメリカで第二期の花を開いたわけである。その原因の一つは前述したやうな、フランクリンをして「世界印刷術中興の祖」たらしめたところの精神であつたので、またその精神こそ百年後にトーマス・マツケラーをして「活字の歌」をうたはしめたものであらう。
 そしてここで私たちは「活字の歌」がうたはれた一八五五年が、わが皇紀二千五百十五年であり、ちやうど昌造が活字板摺立係となつた安政二年であつたことに思ひ當るのである。つまりわが日本に西洋活字が傳來した兩度の歴史のうちで、元龜、天正の頃、いはゆる切支丹宗門と共に渡來した最初のものは第一期のそれであり、昌造らを以て嚆矢とした嘉永以後の舶來活字は第二期のそれであつて、同じ鉛活字にちがひはなくても、活字のもつてゐる社會的性質にはずゐぶん相違があつたので、よしそれがオランダから渡來しようと、アメリカ大陸から渡來しようと、やはり十九世紀の活字であることに變りはなかつたのである。
 世界で最初期の全鐵製ハンドプレス「スタンホープ・プレス」いはゆる「ダルマ型」が、オランダから幕府へ獻納されたのが嘉永の三年だ。西暦では一八五〇年だから、數學者で新伯爵スタンホープの發明後五十年である。「ワシントン・プレス」が上海を經て長崎奉行所の印刷工場に使用されたか知れぬといふ川田久長氏の説を假に事實とすると安政年間であり、それを別としても開港以後上海經由で輸入された形跡はたぶんにあり、昌造が薩摩の島津屋舖から慶應年間に讓りうけたハンドプレスや、明治初年に平野富二が銀座の古道具屋から發見した某大名からの流れものといふ形状不明のハンドプレスなど考へあはせると、尠くとも明治以前であり、發明後三十年ないし四十年である。ドイツ人ケーニツヒの「シリンダー式印刷機」を東京朝日新聞社で使用したのが明治十年だ。西暦にすると一八七七年だから、發明後六十年である。フランスで發明された「マリノン式輪轉機」は新聞印刷機として日本へ最初に入つてきたものだが、それが明治の三十年だ。「マリノン式」の完成は一八七〇年代だから、發明後二十年そこらである。
 安政の開港以後ないしは明治維新の前後、國内事情と對外關係の機微な事情によつて、輸出國もまた輸入方法やその徑路も複雜な變化があるけれど、印刷機といふものは、發明後比較的早く容易に渡來したことがわかる。つまり印
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