わがものとして外夷に備へなければならぬことは當時の大勢であつても、政治的な實際方法の場面では「鎖國」と「開國」にわかれて、また「鎖國」にも佐幕派がある如く、「開國」にも尊皇派があつて、昌造など勿論「尊皇開國派」であるが、それが政治的波動のたびに複雜にもつれあひ、同じ蘭學者でも政治的面にある人は阮甫のやうに入門者でも一應は探偵ではないかと疑つてみねばならぬやうな情況にもおかれたのであらう。
 つまり安政二年頃になると、蘭書の輸入なり勉強なりの取締は寛かになりつつあつた。尠くとも蘭學への關心は「安政の開港」と共に一般的にも急速にたかまりつつあつて、幕府も國防の必要だけからも「日本製洋書」をつくらねばならなかつた。しかしまた蘭書購讀についての法規が改正されてはをらず、また改正されてゐようとゐまいとに拘らず、その購讀者、勉學者自體の性質なり、在り方なりによつては幕府なり幕府以外の方面からなり強い壓力を蒙らねばならなかつたといふことになる。箕作阮甫と緒方洪庵とくらべてみて、いろんな意味でそのことがわかるやうだ。昌造などの場合、その以外に彼が通詞といふ蘭書買入れに特別の便宜をもつた職掌は、も一つの危險があつた。この危險は人格的に下劣な單に「金儲け」からくるそれもあるが、同時に人格的に下劣でなく、學問的な意味からそれを利用する場合もありうることで、「蘭學事始」以來の洋學者は、その「脇荷」的輸入方法からまつたく無關係に勉學し得た場合の方がむしろ尠いかも知れぬ。そして昌造がそのいづれの側であるかはいままでみてきたところ、またこれからみてゆくところでおのづと明らかだから述べないが、とにかくその危險は長崎に生れ通詞の家に育つた彼の宿命の一つであり、しかも士分でもない彼等は、「藩の勢力」などといふ庇護的背景はまるでなかつたのである。
 しかしまだそれだけなら昌造の問はれた罪は單純であらう。前に述べたやうに彼の祖父四代目通詞目付庄左衞門は同じやうな事を甲比丹ヅーフから時の長崎奉行に密告されたことがあつたが、そのことで庄左衞門の通詞的立場は妨げられなかつた。また「脇荷」によるある種の利益は、古くから一般通詞のみならず奉行所役人に至るまでその「餘祿」とされたといふから、このことだけで昌造が、その六代目通詞目付を襲ぐことは出來なかつたとしても尠くとも通辭的公職から身を退いたも同然となるやうな結果は
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