通じてゐる「人間」として考へるときは、その範圍は更に廣くなる。榮之助改め多吉郎の「外國通辯方頭取」は、一種の外交官であるだらうが、堀達之助の「蕃書調所教授」となると、もつと學問的になつてくるやうに、のちの昌造の「長崎製鐵所頭取」となると、さらに範圍が廣くなる。つまり通詞といふ職に統一されて、同じ蘭語や、それぞれ多少の英、佛の外國語に通じてはゐたが、この開闢以來のヨーロツパとの國交開始に當つては、それぞれの人間的特徴をもつてはたらいただらうし、その特徴は分化する運命にあつた。しかも殘念ながら私はペルリ來航當時の昌造のはたらきぶりを殆んど知ることが出來ないのである。
しかしたつた一つ、私としては思ひがけないめつけものがあつた。「大日本古文書幕末外交關係書卷七」に、七月二十九日付の飜譯による、ペルリの通譯官ポートマンから森山榮之助宛の書翰があつて、その文面中、昌造がでてくるのであるが、それは「米通譯官ポートマン書翰、和蘭大通詞森山榮之助へ歸國につき挨拶の件」とあつて、「榮之助君え」と親しく書き出してある。
「私共今晝後、八ツ半時頃此所へ着船致し、サウタンポン船持越候石炭積請、可相成丈急き當所を出帆いたし、カープホーレルを※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り、ネウヨルクえ罷歸申候。其節ホノリリユ、サンフランシスコ、パナマ、カウヲ、フアルハレリ、リヲゼナイロに立寄申候。
其許樣え、お目に掛り候儀不相叶、殘念に候得共、兼て御約諾致し置候通、追々御安否御書送被下候はば大悦に存候、猶私よりも評判記且御入用にも候はば右樣之品差送可申、失念仕間敷候。此度は聊之状紙差送申候間、私え御状之節右紙え御認被下度希上候、石状紙之内、本木昌造樣へも御遣し被下度、且御同人之御動靜直書にて承知致し度、其旨御傳聲希上候――爰に筆留致し候。
――大切之御用御勤被成候褒美として、大才之御許に相應之御昇進有之候樣、相祈申候――。
[#地から4字上げ]其許好友の ポートマン
尚々
私え御出状之節宛名左之通
[#ここから4字下げ]
ア・エル・セ・ポートマン・エスクエ、ネウヨルク・ユナイテツト・ステーツ・ヲフ・ヱメルケ・ヘルヲーフルレントメールフエ・マルセールス。
[#ここから1字下げ]
右書状は下田え渡來之アメリカ船、又は長崎之ヲランダ船へ御托與被下度、又はヱゲレス船、フランス船へ御遣し被
前へ
次へ
全156ページ中108ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング