な一克さをひそめてゐる、當時の科學者的な、一日本青年を想像するのである。
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        開港をめぐつて


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      一

 昭和十七年の夏の終り頃には、私は麻布二之橋のちかくにあるS子爵邸のS文庫に、書物をみせてもらふために通つてゐた。夕刻ちかくになると書物を棚にもどして、子爵邸前のだらだら坂をおりてくるが、どうかしたときは二之橋の欄干につかまつて溝《どぶ》ツ川のくろい水面をみつめながら、ボンヤリ考へこむことがあつた。
 自分は活字の歴史をさがしてゐるのに、何で「嘉永の黒船」や「安政の開港」などを追つかけまはしてゐるんだらう?
 一種の錯覺に似た、氣弱な不安が起るのであつた。たとへばS文庫のうすくらい片隅の机で、私は借りた書物のうちから、はじめは「昌造」の名ばかりさがしてゐる。幕府時代の公文書とおぼしきものから、年時や事件を繰りあはせてさがしてゆく。ちかごろでは「本木」とか「通詞」とか「活字板」とかいふやうな文字は、どんなに不用意に頁を繰つてゐても、むかふから私の眼のなかにとびこんでくるやうになつてゐたが、またそれと同時に、私の興味は活字などとは凡そ縁のないやうな、昌造とさへ直接には關係のない、いろんな他の文章にも魅かれていつて涯しがないやうであつた。
 私は日本の近代活字の誕生が知りたいのであつた。それで私はその代表的人物本木の生涯や仕事を知りたいのであつた。その昌造は通詞といふ職業で、「黒船」にも「開港」にも關係してゐた。從つて私はプーチヤチンもペルリも、水戸齊昭も川路左衞門尉も、その他いろんなものをおつかけてゆくのであるが、しかもその間を容易に斷ち切ることが出來ないでゐる。私は脱線してゐるのであらうか? 木に據つて魚をもとめてゐるのであらうか?
 私は三谷氏の「本木、平野詳傳」をはじめ三四の本木昌造傳をおもひうかべてみる。そこでもやはり「安政の開港」や「嘉永の黒船」が書いてあつたが、簡單にいへばそれらの事蹟も昌造の偉らさを讚へる證據としてだけ擧げられてあつた。そして日本の活字はその個人昌造の偉らさによつて偶然に産みだされたものとなつてゐる。だから昌造を日本活字の元祖とする場合は、「黒船」や「開港」の記録のうちにも、彼個人の偉らさを證據だてるやうな文章のみを發見すればよいのであつた。木村嘉平を元祖とす
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