本のどつかで蟲に喰はれつつ存在してゐるのだらう。
そして以上の人々の言葉が一致するところにみれば、昌造が最初につくつた活字は「片假名」だといふことである。木村嘉平は島津齊彬の命によつて、最初に二十六の外國文字を作つた。昌造は自分の創意で五十音片假名を作つた。「蘭話通辯」の印刷が何によつたかは活字以上に明らかでないが、のち長崎奉行所が印刷所を設けたとき「プレスによる印刷法長崎に擴まる」とあるから、このとき二十八歳の青年昌造は輸入のアルハベツトに片假名の活字をならべて、ひとりでばれん[#「ばれん」に傍点]でこすつたのであらう。そしてひとりで紙を切つたり、製本したりして、ひそかに知己の人々に「黒い表紙」の本をくばつたのだらう。
「蘭話通辯」はやや傳説めいてさへゐる。彼の片假名活字は「きたない」ものだつた。しかし昌造だつて科學未發達のその時代に、日本活字を創造してゆくどんな手がかりがあつたらう? 歴史といふものに奇蹟はないといふ。グウテンベルグの場合、活字考案に指輪があつたやうに、印刷機の考案にはドイツ、ライン地方の葡萄酒釀造につかふ壓搾機がヒントとなつたもので、今日手引印刷機を「プレス」と稱ぶのも、そこに發してゐると謂はれる。萬をもつて數へる漢字の字母は、そして畫の複雜な漢字體は、「流し込み」技術の範圍では容易に克服し難かつたらう。嘗て「植字判一式」購入當時の同志、北村此助も、品川藤兵衞も、楢林定一郎も、いつかこの活字の歴史からは消えていつた。
しかし「蘭話通辯」から三年めの安政二年になつて、昌造らの購入活字は、それ自身として一つの記録を編んだわけであつた。同年六月、長崎奉行荒尾岩見守は老中阿部伊勢守へ「阿蘭陀活字版蘭書摺立方建白書」といふものを提出した。「一、近年洋書の需要著しきも、供給不充分なる事。二、阿蘭陀通詞は別して家學に出精熱心に研究するも、遺憾ながら蘭書拂底のため修行十分に屆き兼ねる事。三、先年紅毛人の持來りし活字版を、先勤長崎奉行の許可を得て、蘭通詞共引受所持せるを、このたび會所銀をもつて買上げ、此節奉行所に於て摺立方試み、長崎會所に於て一般志願者へ賣渡せば世上便利なる事」等といふのが建白書の内容である。
「紅毛人持來りし活字版」云々は、昌造ら註文の活字版のことである。この文章でみれば、例の「植字判一式」は偶然渡來したものを昌造らが引受け買取つたごとくで
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