、昌造が蘭字活字買入の動機を誌して、彼はあるとき和蘭人から和蘭の活字發明者フラウレンス・ヤンコ・コステルの傳記をもらつて讀んだ事實があると誌してゐる。この三谷氏の説がホンの云ひ傳へであるか、確實な資料にもとづいたものであるか、私はそれを判斷する力を持たない。しかしそれがほんの長崎での傳説であつたとしても、甚だ信じ得る事柄ではある。和蘭人フラウレンス・ヤンコ・コステルは、ドイツのグウテンベルグに先だつ約十五年、西暦一四四〇年頃に、鉛活字を創造した世界最初の人だと、和蘭人が海外に誇る人であつたから、當時の日本がヨーロツパぢゆうで唯一の通商國とした和蘭から、通詞といふ職で生來科學に興味をもつ昌造のやうな人間に、コステルの名が傳へられたことは至つて自然であらう。
 しかも次のやうな、コステルと昌造の各々がもつ二つの※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話は、以上の關係を明らかにするやうで面白い。あるとき、コステルは庭先に落ちてゐる木片をひろつて、手すさびに自分の頭字を浮彫りにしたが、捨ててしまふのも惜しくて、紙にくるんで室の隅に抛つておいた。それからずつとのち、何氣なく手にふれたその紙包をひろげてみたら、木片の文字がハツキリと紙に印刷されてゐるので、非常にびつくりしたといふ話。――
 いま一つの※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話は、昌造の事蹟のうち今日も有名な語りぐさであるが、あるとき昌造は、購入した蘭活字の少しばかりを鍋で溶かすと、腰の刀をはづして目貫の象嵌にそれを流し込んでみた。やがて鉛が冷却するのを待つて、裏がへしてみると、目貫の象嵌は凹型になつてハツキリと鉛に轉刻されてゐるので、昌造は大聲を發して家人をよんだといふ話――である。
 この二つの※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話は、東西を距ててどつかに共通するものがあるばかりでなく、後者は前者にくらべて、もつと意識的であることがわかる。コステルの場合は、偶然な木活字への端緒であるが、昌造の場合は、流し込み活字への豫期がある。しかも後者の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話は、前者の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話に影響されてゐる
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