を流しこんで、今日の活字字母の啓示を得たといふやうな、封建三百年の跛行的な日本文化の運命を、それこそ自分の背中にのせてウンシヨ、ウンシヨと搬んだやうな、じつに數多くのすぐれた人々の苦心が、文明開化の明治時代に生れあはせた私には、身に沁みてはわからぬからであつたらう。
帝國圖書館の特別閲覽室は、夏はまだよかつたが、冬はスチームがとほらぬので寒かつた。圖書館にゆくときはなるべく早く家を出て、閲覽室の陽當りのよい窓ぎはに椅子をとらうと心掛けても、いつも常連に先を越されてしまふ。却つて陽ざしが辷つてしまつた正午頃になつておちついてくるが、そんなときふツと眼をあげて窓外をみると妙な氣分になることがある。風に搖いでゐる裸樹の梢を越えて、鈍い灰色の雲の中から飛行機の爆音が間斷なく降つてゐた。讀んでゐる書物の時代や空氣から一種の錯覺をおこして、いま自分たちが支那事變や世界大戰の裡にあることを忘れてゐることがある。そして室の中に眼を戻すと、机の上に背中をまるくした人々が咳一つしないで、昨日も今日も同じ後ろ姿をみせてゐるのが、何か不審に思へるやうなことがあつた。
またこの圖書館の食堂は、私の知るかぎり東京の圖書館食堂で一等貧弱だと思へた。貧弱はかまはぬが、場末の安食堂のやうな亂暴さに加へて、をかしな官僚ぶりをもつてゐた。時節柄コーヒーもうどんもなかつたり、あるときはお菜だけあつて飯がなかつたりするのは仕方ないことであるが、
「お菜だけですよ、いいですかア。」
カウンターにゐる女給は拳の腹で出納器の釦を叩きながら怒つた聲でいふのであつた。しかし私の關心はそれよりも食堂に入つてくる人々の容子が、町の食堂なぞでみるそれとずゐぶん異つてゐることである。學生だらうと紳士だらうとに拘らず、カウンターの突慳貪な聲にも、まるで叱られてゐるみたいに靜かにしてゐることだつた。
あるとき割箸の屑で燃してゐるストーヴの傍で、私たちは三十分すると出來るといふ飯を待つてゐたが、三十分經つても却々飯は出來ない。私はしだいに苛々してきたが、やがて佛頂面してゐるのは自分一人だと氣がついてきた。汚れたテーブルの前に坐つてゐる學生も、さむいたたき[#「たたき」に傍点]の隅で凍える靴の爪先をコツコツやつてゐる紳士も、みんな默念としてゐる。同じテーブルに坐つてゐる二重※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しを着た男
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