た長崎奉行の目付ともいふべき代々の和蘭甲比丹から具申する海外ニユースをたよりにしてゐた程度であつたと思はれる。そのことはたとへば文化年度以來、ヨーロツパにおける國際關係が複雜になつて、和蘭船として同國國旗を掲げて入港してくる船々には、アメリカ船、デンマーク船、ロシヤ船、ブレーメン船等があつても、實際にこれを知つてゐたのは長崎通詞のみであつたといふことにもあらはれてゐる。
これらは和蘭傭船であつた。しかし傭船ではあつたが、これらの異國船はつねに和蘭國旗を放棄して、單獨の日本通商をしようといふ謀反心を抱いてゐたのである。殊に新興のアメリカ船にそれがつよくて、アメリカ船「エリザ號」などは二度めは和蘭國旗を掲げず入港しようとして追ひ返され、三度びそれを企てて三度び追放され、つひにフイリツピン沖合で難破、再び起てなかつたといふ。そしてこれは和蘭傭船ではないが、文政元年五月、異國船が突如江戸灣に出現して江戸の役人たちをおどろかせた。それはイギリス商船「ブラザース號」で、しかも六十五噸の小帆船であつた。恐らくお膝元江戸灣に乘りこんだ最初の船であらうが、まつたく「突拍子もない船」である。本國の政治的意圖ももたない私船で、長崎を無視してのこのこと江戸へやつてきたこの船は、日本の許可を得て貿易をしたいと臆面もなく申立てたところに、異國船渡來の歴史にみて劃時代的な意味をもつものと私は考へる。
もちろん「ブラザース號」は追ひ返された。そしてこの六十五噸の小帆船の處置について老中をはじめとする役々の動きの記録が殘されたが、ゴルドン船長の方でもおどろいて早々に引揚げた。しかしこのとき浦賀に碇泊したわづか一晝夜のうちに「雜貨類の交易に熱心」な附近の百姓町人たちは「ブラザース號」の甲板に充滿し、船の周圍をとりまく者を加へれば二千を超えたと記録してある。
「突拍子もない船」はしだいにふえた。文政年間から天保年間へかけてアメリカ、イギリスの捕鯨船で日本海岸に漂着するものだけでも「數知れず」であつた。前記したやうに文化の末から文政へかけては、アメリカ漁夫たちが大西洋から太平洋に河岸をかへた時期である。しかも未開の太平洋に鯨を逐うてくるものはアメリカ漁夫のみに限らない。弘化三年になると、フランス軍艦「クレオパトラ」が長崎港外に訪れて、日本への交誼をもとめてゐる申出のうちに、「フランス捕鯨船で漂着するも
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