によつて香港を開放せしめたやうな事態が支那よりも一時代早く起つたか知れない。
 もちろんそれはレザノフの誤りであつた。日本と支那はちがふ。日本の國柄は支那とちがふし、後年シーボルトが觀察したやうに、人種血族的にも經濟的にもちがつてゐる。「――二百年の泰平庇蔭にて、日本國民の文明開化はその高潮に達して、今やわが歐羅巴を除きては、古世界中の最も進歩せるものとなれることは何人も爭ふやうなし」「英國が最近時支那につきて施爲したる處置は日本にては成すべからず、日支兩國の差別は、國民といひ、國家といひ、貿易的産物といひ、通商關係といひ、その差別は歐羅巴において考ふるよりも甚だ大なり」「されば日本には國債といふものなくして著大なる國寶と無限の國家的信用とあり。ある貴人は余に云へり。『――石を錢に鑄るべく、石は錢の價値あり』」と、かくて「日本の住民が混淆なくてある間、日本に於ける外國貿易は、歐洲人が移住し、其住民と交はりて新しき一國民となり、或はその住民を征服[#「征服」は底本では「制服」]して風俗、習慣、生活必需品一切を強要して、母國たる歐洲との交易を須要とし、有利とするに至らしめたる歐洲外の國々の如くに、繁昌となることは決してあるべからず」(日本交通貿易史)と、この一外國人は結論した。
「英國が最近時支那につきて施爲したる」とは、もちろん南京條約及び阿片戰爭の謂であり、「古世界中の云々」は、歐洲以外の基督教文化、若くは機械文明によつて近代化されてゐない國々を指してゐる。しかし私らはしばらく冷靜にして、この歐洲以外はすべて植民地視するところの一外國人の謂ふところをきいてみよう。シーボルトのこの觀察は、レザノフが長崎を去つて、ひたすら武力による日本遠征を企てた一八〇五―七年から三十餘年を距ててゐるが、そしていはば日本通商の特惠國オランダの出先役人であつたシーボルトの「將軍政治」への偏つた傾倒だつたにもしろ「古世界中」では最も發達したる國、無限の國家的信用をもつた國、石をもつて云々と比喩するごとき統一された國、「日本の住民が混淆なくてある間」は歐洲人も決してこれを征服することはできないといふ國。これらは「世界の旅人」フオン・シーボルトの十數年にわたる日本滯在のうちにつみあげられた觀察ではあるまいか。
 レザノフの觀察はそこまで至らなかつた。しかしレザノフはレザノフなりの見解をもつてゐ
前へ 次へ
全156ページ中62ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング