圖書館にくらべると、やはり上野の圖書館の方がはるかに豐富であつた。
私はそこで「世界印刷年表」とか、「印刷局五十年史」とか、「南蠻廣記」とか、「印刷文明史」とか、「世界印刷通史」とか、「現代印刷術」とか、「古活字版之研究」とかいつた書物を讀んだ。そのほか明治末期から大正へかけて、印刷文化の大衆化につれて印刷屋を開業しようとする人のための手引きといつた、ごく通俗な書物にもぶつかつたが、名前をおぼえてゐるやうな本はたいてい立派なものだつた。なかでも「古活字版之研究」や「印刷文明史」や「世界印刷通史」などは、量的に厖大なばかりでなく、世間からはあまり顧みられない特殊な研究の一テーマのために、自分の生涯を捧げつくしても尚足れりとしないやうなきびしさがあつて、私は壓倒される氣持がした。
しかし私のやうな入口も出口もわからない初心者のつねで、それらの書物を忠實に讀んだわけでもコナしたわけでもない。その著者に對しては申譯ないやうな氣儘な讀み方もする。目次をひろげて面白さうなのを飛び讀みしたり、それかと思ふと熱心に書き拔きしたり。ある書物では、四千年前バビロニア國のバビロニア人が、粘土の上に文字を書いた。學校があつて、學校の門は粘土の山で出來てゐる、生徒たちは登校すると、てんでに門の粘土をくづしとり、一ン日書いたりくづしたりして、をはるとまたその粘土で、門の山を築いて歸つていつたといふ話を、著者の想像らしい※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]畫と共に面白く記憶にのこした。また別の書物でバビロニアだかどこだかの女王が、自分の傳記みたいなものを粘土に書いて瓦に燒いたものが四千年後の今日發見されたといふ文章が、つまり私には「紙」以前に何に印刷されたかといふことで興味があつた。やはり西洋歴史の「貝殼追放」なども、貝殼に文字を書いた歴史であり、その後は牛や羊の皮に文字を書いて、一卷の書物は今日の呉服店のやうに大きな丸束にして書物の値段札がブラさげてあつたといふ。支那の畢昇が粘土で活字を作つたのは、グウテンベルグに先だつこと五百年だが、日本の陀羅尼經、天平八年法隆寺の印刷物はまたそれに先だつ二百八十年といつたやうなこと、その陀羅尼經の原版が木であつたか銅であつたかといふ詮議を、著者と共にボンヤリ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−
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