生を葬ることに決定した。ただちに土方与志を葬儀委員代表に推し、前記の人々が葬儀委員として事務を掌《つかさど》ることとなった。二十六日午前十時、築地小劇場に劇場員一同を集めて、青山杉作が以上の経過を報告した。
菩提寺、牛込若松町金谷山宝祥寺の住持秋山暁道師によって先生の戒名は「蘭渓院献文慈薫居士」と名づけられ、二十六日午後三時納棺された。納棺に先立ち、吉田久継氏が遺族の希望によってデスマスクを取った。二十六七日の両夜、遺族、近親、劇壇、文壇、映画界その他の知友子弟一同棺前に侍して通夜を営んだ。
二十八日は告別式の当日である。午前十時から自宅において最後の読経焼香を行い、午後十二時五分出棺した。喪主小山内徹氏をはじめ遺族、近親、劇場代表者「三田文学」「子分の会」「劇と評論」各代表者が葬列に加わった。劇場員一同は午前十一時式場に参集し、諸般の準備を整えて霊柩を迎えた。各方面から送られた生花造花をもって飾られた舞台の正面に霊柩を安置し、午後一時から宝祥寺住持秋山暁道師によって読経が始められた。次いで劇場を代表して青山杉作が追悼文を朗読し、以下、文芸家協会(長田秀雄氏)国民文芸会(長崎英造氏
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