」の三曲を三旬に分ち、築地の誇りとする三演出家の担当のもとに舞台にのせる予定でありました。ところが途中から急に、帝劇公演の話がまとまりましたので、第三の演目を「ペエル・ギュント」と搗《つ》き変え、これを三演出家の共同演出のもとに、近衛氏の新交響楽団と岩村舞踊研究所の援助を得て、演劇と音楽と舞踊との綜合的なブリリアントな融合形式によって上演する運びに立ちいたりました。言うまでもなくイプセンは、文芸協会自由劇場以来、日本の新劇運動とはまことに密接な関係にありますが、おそらくは今後、彼の戯曲の上演を、これほど系統的に観賞批判し得る機会は、わが新劇界においてふたたび来ないであろうと信ぜられます。
 では、なぜわれわれが、イプセンの数多い作品の中から、今のべた演目を選んだかと申しますと、御承知のとおり、現在の築地は、各部から代表委員を挙げてその合議制によってレパートリーから経営方針までを決定しております。この委員会の席上でも、何を選ぶかについては諸説ふんぷんたるものがあったのですが、まず第一に支障なく選ばれたのは「ノラ」でありまして、これは、イプセンの作品中、もっともポピュラアなものであるという理由が一つ、それと並んでこの作品は松井須磨子や水谷八重子などの上演によって日本の新劇運動にも馴染の深いものではありますが、しかしイプセンの作意を正当に伝えた舞台は、まだ日本には現われていない、この作品は婦人解放問題を扱った、いわゆるプロブレムドラマ――問題劇として一般に評価されておりますが、作者自身はある婦人の集りの席上で、自分は婦人問題については多くを知らないから、女性諸君の感謝に価しない、私の作品はただ一篇の詩であるという意味のことを述べております。事実、この作は、社会思想的な現実的な内容をもちながら、そのなかにも実に芸術的な香気をみなぎらしたすぐれた作品であります。外国の例に徴しますと、この問題劇的なシリアスな一面が極端に強調されて、芸術的な香気を抹殺した例が間々あるそうですが、日本では逆に、この厳粛な内容をきわめて低俗に解釈するところから、結果としては、芸術的な高さを失ってしまったようなことになっております。それに、いわゆるスタアシステムの弊害として、舞台のピントが、女主人公のノラにばかり集中されて、ヘルマアと彼女との深刻な家庭生活の相剋として、この両者に同じような比重を分け与えることができなかった。そういうような通弊を救って正しい演出を提示するという意味でも、この作品を上演することがよろしかろうという結論が生れたわけです。で、この「すべての名女優の野心と失望の役」であるノラには、村瀬幸子君が扮し、その対手役としては丸山定夫君が選ばれ、すでに御覧のような築地的な「人形の家」が上演されつつあるのです。
 これは青山さんの担当ですが、つづいて土方さんの担当には、再演ものの「幽霊」が選ばれました。この「幽霊」については、土方さんにだいぶ難色があったようで、「人形の家」と「ゴースツ」では、同じような色彩の――つまり婦人問題とか遺伝説とかを扱った家庭劇が二つ続く。おなじ再演ものでも、自分の意見では、もっと社会的な視野のひろい「ドクタア・ストックマン」を選びたい、小山内先生が晩年の神秘主義的色彩の濃い象徴劇(「復活の日」)を選ばれるならば、――まだこの時は、帝劇の話がなかったのですが――それと、家庭劇と社会劇と、こう三つの代表的傾向を並べて舞台化するほうが意義があるのではないかということを、土方さんは主張されたのですが、小山内先生の意見として、「幽霊」はギリシャ劇やフランス古典劇で尊重された「三統一」をイプセンが最もよく遵奉した作品で、その意味でもわれわれの研究の対象たり得る、沙翁劇や今日|流行《はや》る表現派の芝居のように、逐事件的に劇的行為《ハンドルング》をたどってゆかずに、例の「第五幕から始まる」という評語もあるような、劇的事件の一つの高頂点から芝居を明けて、それ以前のことを前筋――フォールゲシヒテ――として事件の進行につれて展開させながら、キャタストロフに導くという手法の代表的な例として「幽霊」を挙げることができる、また、単に芸術作品としての出来ばえから言っても、今日、この傑作を度外視しては、記念公演が片輪なものになりはしまいか、こういうふうに小山内先生が言われまして、結局、「ゴースツ」に落ちついたわけなのであります。で、この演出にあたって土方さんは、初演の時とはだいぶプランを変更して、従来のオスワルトを主人公とする方針を捨てて、この作の重心をアルウィング夫人の悲劇相に置き、山本安英君扮するところのアルウィングをめぐるいくつかの世紀末的な人間の型を表出することにつとめられるそうであります。言うならば、十九世紀そのものの「幽霊」を描き出すことが
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