えることができなかった。そういうような通弊を救って正しい演出を提示するという意味でも、この作品を上演することがよろしかろうという結論が生れたわけです。で、この「すべての名女優の野心と失望の役」であるノラには、村瀬幸子君が扮し、その対手役としては丸山定夫君が選ばれ、すでに御覧のような築地的な「人形の家」が上演されつつあるのです。
これは青山さんの担当ですが、つづいて土方さんの担当には、再演ものの「幽霊」が選ばれました。この「幽霊」については、土方さんにだいぶ難色があったようで、「人形の家」と「ゴースツ」では、同じような色彩の――つまり婦人問題とか遺伝説とかを扱った家庭劇が二つ続く。おなじ再演ものでも、自分の意見では、もっと社会的な視野のひろい「ドクタア・ストックマン」を選びたい、小山内先生が晩年の神秘主義的色彩の濃い象徴劇(「復活の日」)を選ばれるならば、――まだこの時は、帝劇の話がなかったのですが――それと、家庭劇と社会劇と、こう三つの代表的傾向を並べて舞台化するほうが意義があるのではないかということを、土方さんは主張されたのですが、小山内先生の意見として、「幽霊」はギリシャ劇やフランス古典劇で尊重された「三統一」をイプセンが最もよく遵奉した作品で、その意味でもわれわれの研究の対象たり得る、沙翁劇や今日|流行《はや》る表現派の芝居のように、逐事件的に劇的行為《ハンドルング》をたどってゆかずに、例の「第五幕から始まる」という評語もあるような、劇的事件の一つの高頂点から芝居を明けて、それ以前のことを前筋――フォールゲシヒテ――として事件の進行につれて展開させながら、キャタストロフに導くという手法の代表的な例として「幽霊」を挙げることができる、また、単に芸術作品としての出来ばえから言っても、今日、この傑作を度外視しては、記念公演が片輪なものになりはしまいか、こういうふうに小山内先生が言われまして、結局、「ゴースツ」に落ちついたわけなのであります。で、この演出にあたって土方さんは、初演の時とはだいぶプランを変更して、従来のオスワルトを主人公とする方針を捨てて、この作の重心をアルウィング夫人の悲劇相に置き、山本安英君扮するところのアルウィングをめぐるいくつかの世紀末的な人間の型を表出することにつとめられるそうであります。言うならば、十九世紀そのものの「幽霊」を描き出すことが
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