居る様な熱心さで彼女の細かい動作を一つも見逃さない様に努めた。一|掴《つか》みの半襟地を窓明りに翳《かざ》しては元の位置へ置き、又他の一|掴《つかみ》を取上げて同じ事を繰返して居た。と、或刹那、彼は不思議な事を見付け出した。夫れは、幾枚かの半襟を取上げて窓に翳す時、重ねた両端の二枚を裏返して見る刹那。真中の一枚をすっと抜取って彼女の袖へ入れたのであった。彼が自分の眼を疑ったのは勿論《もちろん》である。併し其早業は只一度で無くて幾度も繰返されたのを確実に見た。彼は自分自身がそんな事をして居る様な驚きに出食わした。顔が火照《ほて》って耳ががァんと鳴って血の凝りで塞《ふさ》がれた様な気がした。
「ああァ」
思わず深い溜息《ためいき》が漏れた。而《そ》して今一度眼を瞠《みは》って彼女を瞶《みつ》めた。依然彼が後を跟けて来た彼《か》の美人以外の誰でもない。余りのなさけなさに涙が腹の中で雨の様に降った。それにも拘《かかわ》らず、此時急に彼女に対して強い真実の愛情が湧き起って来た。
美の前に何の罪があろう。愛の前に何の不徳があろう。只在るものは罪悪や不徳を超越した美と愛とだ。彼は只、誰もが彼女の遣った行為に気付かずに居て呉れと心に念ずる丈けであった。
「見よ、あの通り彼女の顔は晴やかに輝いて居るではないか。あの通り美しく無邪気で天使の様に尊いではないか」彼は心の中で呟《つぶや》いた。
事実、彼女は何のこだわりも無く、自然過ぎる様な楽しい態度を示して其処の卓を離れた。彼は次に起る事が何であるかを想像する力を失って、手品を見せられて居る人の様な眼を以《もっ》て彼女に近付いた。と、彼女の持って居る反物の包紙は、封緘紙《ふうかんし》が外れて居る事に気が付いた。恐らく未《ま》だ糊《のり》が生々しい時に外したのであろう。而して今引抜いた半襟が今に此中に巧みに入れられるであろう。彼は夫れに気が付いた時、一種の興味さえ起って来るのであった。寧《むし》ろ彼女の成功を讃美したい様な気持にさえ成って来た。彼女は、婦人用便所と札を掲げた方へ悠々と這入って行った。
彼は嘗《かつ》て新聞で見た事があった。夫れは、こうした大きなデパアトメントストーアーで、頻々《ひんぴん》と起る万引の中で、婦人は大抵反物類を窃取するが、之れを持ち出す前には便所に行って始末すると云うのであった。これを思い出すと又しても浅間しいと思う気持に成った。彼女が再び出て来た時、持って居た買物は風呂敷に包まれて居た。
店を出て四つ角を一つ通り越すと、大きな銀行の建物があった。周囲は広い余地を残し、鈴懸《すずかけ》の木立から思い出した様に枯葉が零《こぼ》れて居た。垣根と云うのは石の柱と、其を結び付けて垂れ下った鉄鎖がある丈けで、人の出入も自由であった。彼女が其処へ差蒐《さしかか》った時、彼は直ぐ其後へ追付いて居た。此儘《このまま》黙って過ぎれば只路傍の人として終って了うのである。併も彼は大なる秘密を握って居る。何とか利用しないでは置けないと云う気に成って了った。彼は一ト足|歩度《あゆみ》を伸ばすなり、妙に好奇心の加わった空元気を出して呼びかけた。
「一寸《ちょっと》お尋ね致しますが」と云った其瞬間、彼は其後をどう云う可《べ》きかに付いて余り不用意である事に気が付いた。後悔の雲がぱっと頭に拡がった。聞えなければ可《い》いがと云う願望も同時に起った。併し其等は一切無益であった。彼女は歩度を緩めて彼を振向いた。足を停《と》めた。最早取返しは付かなくなった。狼狽《ろうばい》の余り却《かえっ》て誤間化《ごまか》す事が出来なかった。
「貴女は今|彼処《あそこ》の店で買物をなさった様ですねえ」
「致しましたが、夫れがどうだと被仰《おっしゃ》るんです」
女は少しも驚かないのみか、寧ろ待ち望んででも居た様な落着方であった。併し、気の故《せい》か彼女の美しい輝《かがやき》の顔に、不安の影が颯《さっ》と通った様に思えた。
「いや、別にどうしたと云う訳でもありませんが……これは甚《はなは》だ失礼な事かも知れませんが、少しお間違いをなさって被居《いらっしゃ》るんじゃないかと思ったもんですから、一寸お尋ねして見たいと思った丈けなんです」
しどろもどろではあったが、貴婦人に対する礼儀は失って居ない積《つも》りで云ったのであった。
併し之れ丈け云って了うと、今迄持って居た探偵眼を誇りたいと云う気分や、こうした美しい婦人の秘密の鍵を握って居ると云う好奇心や、何か奇蹟的に邂逅しそうな卑劣な野心などは、此時全く姿を潜《ひそ》めて了って、依然不安と後悔の恐ろしい様な予感とで心は乱れて居た。
「私が何か不都合でもしたと被仰るんですか」
彼女は忽《たちま》ち興奮した。険しい眼には挑戦の意気込みが現われた。こうなると、先刻《さっ
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