間しいと思う気持に成った。彼女が再び出て来た時、持って居た買物は風呂敷に包まれて居た。

 店を出て四つ角を一つ通り越すと、大きな銀行の建物があった。周囲は広い余地を残し、鈴懸《すずかけ》の木立から思い出した様に枯葉が零《こぼ》れて居た。垣根と云うのは石の柱と、其を結び付けて垂れ下った鉄鎖がある丈けで、人の出入も自由であった。彼女が其処へ差蒐《さしかか》った時、彼は直ぐ其後へ追付いて居た。此儘《このまま》黙って過ぎれば只路傍の人として終って了うのである。併も彼は大なる秘密を握って居る。何とか利用しないでは置けないと云う気に成って了った。彼は一ト足|歩度《あゆみ》を伸ばすなり、妙に好奇心の加わった空元気を出して呼びかけた。
「一寸《ちょっと》お尋ね致しますが」と云った其瞬間、彼は其後をどう云う可《べ》きかに付いて余り不用意である事に気が付いた。後悔の雲がぱっと頭に拡がった。聞えなければ可《い》いがと云う願望も同時に起った。併し其等は一切無益であった。彼女は歩度を緩めて彼を振向いた。足を停《と》めた。最早取返しは付かなくなった。狼狽《ろうばい》の余り却《かえっ》て誤間化《ごまか》す事が出来なかった。
「貴女は今|彼処《あそこ》の店で買物をなさった様ですねえ」
「致しましたが、夫れがどうだと被仰《おっしゃ》るんです」
 女は少しも驚かないのみか、寧ろ待ち望んででも居た様な落着方であった。併し、気の故《せい》か彼女の美しい輝《かがやき》の顔に、不安の影が颯《さっ》と通った様に思えた。
「いや、別にどうしたと云う訳でもありませんが……これは甚《はなは》だ失礼な事かも知れませんが、少しお間違いをなさって被居《いらっしゃ》るんじゃないかと思ったもんですから、一寸お尋ねして見たいと思った丈けなんです」
 しどろもどろではあったが、貴婦人に対する礼儀は失って居ない積《つも》りで云ったのであった。
 併し之れ丈け云って了うと、今迄持って居た探偵眼を誇りたいと云う気分や、こうした美しい婦人の秘密の鍵を握って居ると云う好奇心や、何か奇蹟的に邂逅しそうな卑劣な野心などは、此時全く姿を潜《ひそ》めて了って、依然不安と後悔の恐ろしい様な予感とで心は乱れて居た。
「私が何か不都合でもしたと被仰るんですか」
 彼女は忽《たちま》ち興奮した。険しい眼には挑戦の意気込みが現われた。こうなると、先刻《さっ
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