、此女に少しも注意を払って居ないらしく、夫々《それぞれ》自分等の行く可き方向へ足を急がせた。併《しか》し電車や自動車などは彼女の為めに道を開いて居る様で、彼女は自由に何の滞《こだわ》りもなく道を横切って其等を切り抜けた。後に続く彼は又、忌々《いまいま》しい程交通機関や通行人に妨げられた。彼女を見失うまいと焦り乍《なが》ら、
「ええッ畜生ッ。犬迄が人の邪魔をしやがる」
と、彼は口の内でこんな事を云って、水溜《みずたま》りを飛越えたりして居った。それでも之《こ》れは愉快な遊戯には相違なかった。
彼等の前に大きなデパートメントストーアーが見出された。屋上の塔では旗が客を招いて居った。層楼の窓は無数の微笑を行人に送った。彼女は役人が登庁する時の様に、何の躊躇《ちゅうちょ》もなく其店へ姿を消して了った。栗屋に執って之れは好都合であった。此店には暇過ぎる彼を終日飽かせない程の品物を並べてあった。此中へ彼女が這入《はい》ってさえ居れば、幾度でも彼女と邂逅《かいこう》する事も出来るのであった。彼は落着いて店の中を歩いた。卓《テーブル》の上には積木細工の様に煙草を盛上げたり、食料品の缶詰が金字塔《ピラミッド》型に積重なったりして居た。彼は其辺を一ト渡り見渡して、女の方へ眼を移した。が、某所《そこ》には女の影も見られなかった。彼女に匹敵する丈けの美人も見付からなかった。
彼は大理石で張詰めた壁に沿って、コルク張の階梯《かいてい》を軟かく踏んで二階へ急いだ。彼女はエレベーターで天上でもしたのか、此処にも姿は見出せなかった。彼は本気に慌てて三階へ駈け昇った。身形《みなり》が別に派手でも何でもないが、彼女を見付け出すのは鶏群中の雄鶏《おんどり》を見出す程容易であった。彼女の手には反物《たんもの》らしい紙包の買物が既に抱かれて居った。彼女は今|半襟《はんえり》を一面に拡げた大卓の前で、多くの婦人達に混って品の選択を始めて居た。彼は既製洋服を吊した蔭に立って覗き始めた。美しい婦人達の大理石の様な滑《なめら》かな手で、蛇の様に重みのある縮緬地《ちりめんじ》が引揚げられたり、ぬらぬらと滑り落ちて蜷局《とぐろ》を巻いたりして、次から次へと婦人達の貪る様な眼で検閲されて居るのである。若い美しい女性の華かな姿が正面背面又は横顔を見せて居るが、彼女程輝きを持って居る女は見られなかった。彼は芝居でも見て
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