集れの布令《ふれ》が廻って、時は愈《いよいよ》目睫《もくしょう》に迫った。山田は蒼白くなっては度々水で口を濡しながら「サア往こう」と昂然として言う。
三千人と一ト口に言うが、大したものだ、要所要所に上飯台の連中を配置し、寸分も足掻《あが》きを効かせまいと行届いた手配だ。然し此三千人の口には何様して手を宛てられるかと私は他人事ながら案じられて、背延びをして幹部の方を見たが、謹慎の象徴の様に固くなってるのが見えた丈だ。
山の主任が立上って、内務省から派遣された大河内《おおこうち》参事官を紹介し、何か不平でも希望でもあらば申立てる様仰せられたから、其旨申伝えると述べて着席する。大河内参事官は、痩ッぽちの体に似合わず、吃驚《びっくり》する程の大声で訓示を始めた。良く透る歯切れのいい弁で、内容を平易《やさし》く要領よく述立てる所は流石にと思わせた。当局に於いては虚心平気で実地の真情を審《つぶ》さに調査報告し、改良すべき点ありと認むれば、飽迄《あくまで》も之が改善を命ずるのである、腹蔵なく述るがよい、世評が嘘伝《うそ》であって欲しいと思うと述べた。
参事官が椅子につくかつかぬに、私から三人目に居た山田が、何か述立てようとすると、直後《じきうしろ》に見張って居た帝釈天の谷口が、後から肩口を握《つか》んで小突いた、すると壇上の椅子に居た次席の偉丈夫山本さんが突立上って、谷口を睨め底力のある声で叱り付けた。「君は誰か、何故発言を妨げるか、今参事官閣下の言われた事が判らんか止めなさい」
と威厳ある一ト睨で、帝釈天は凹《へこ》んで面をふくらせたのは、溜飲が下った。山本さんは更に主任達の方を向いて、
「今の妨害者は当現場の監督者側の人とすると、此際|彼《あ》の様な挙動は、貴方達に却て不利益ですぞ」
と決め付けた。主任と閻魔と閉口しつつ弁解がましく、述立てようとするのを耳にもかけず、
「今の発言者、遠慮なく述べなさい」
之に勢《いきおい》づいた山田は感激に満ちて滔々《とうとう》と述べた、如何に無道徳で、如何に残酷で、如何に悲惨であるかを、実例を引き引き巨細《こさい》に訴えた。一同は山田が自分達を代表して弁じて呉れるとして肯定の色に満ち満ちた。続いて淫売殺しの木村も案の定立ち上って喋舌ったが、弁舌では山田に及ばないが、例証を挙げることの綿密なのには誰も彼も「よくマア」と感服した。無論陳述は属官が、一語も洩さず速記して居る。一方主任連の凹み方ッたら無い。
勢を得たので七、八人の者が続いて訴えたが、其《その》了《おわ》ったのは三時にもなっただろう。スルと参事官が立上って、大体要領は得た、更に何か変った、新しい方面の訴《うったえ》は無いかと尋ねた。
みんなが絶叫し、獅子吼《ししく》したあとではあり、別に新しい種もないので、誰も口をきく者もなかったのに、一人の十八、九の若僧が出しゃ張って、何う変り栄えもせぬ事を、クドクドと東北弁で述べた時……実に其時だった……。
壇上の席に突ッ立上った大河内参事官閣下が、破れ鐘の様な大声で呶鳴った。
「黙りやがれッ、七《しち》ッくどいッ」
若僧は一縮《ひとちぢみ》になる、一同呆気にとられてポカーンとした儘、咳払い一つ聞えぬ。
「黙らねえか、五月蠅《うるせ》エや、何ンだ、言う事ア夫れッ切りか、下ら無エ同じ事をツベコベツベコベ、ぬかしやがって耳が草臥《くたび》れらア、コウ手前《てめえ》達ア、此山に居ながら此山の讒訴《ざんそ》をしやがって夫れで済むか、山にもナ、楠孔明《くすのきこうめい》が控えてらア、一番|灰汁《あく》洗いを喰わせたんだゾ。俺は参事官でも四時間でも無エ、高間の初蔵という者だ。手前達の内に良くねエ企らみを為る奴があるので、偽勅使で一杯引ッ掛けたタア真逆《まさか》に気も付くめエ、智慧の足り無エ癖に口|許《ばかり》達者にベラベラ喋りやがって、今に其舌の根ッ子オ引ン抜いてやるから待ってろヨ。今手前達の言立てはすっかり速記にとってあるから夫について言抜は又幾何でも考えられらア、馬鹿野郎共め」
山本さんも立上って呶鳴った。
「獣《けだもの》め、口先|計《ばかり》達者で、腕力《ちから》も無けりゃ智慧もねエ、様《ざま》ア見やがれ、オイ、閻魔ッ、今|頬桁《ほおげた》叩きやがった餓鬼共ア、グズグズ言わさず――見せしめの為だ――早速片付ちまいねエ」
(五)
山田を始め七人の運命は、何の疑《うたがい》を挟む余地もなく、簡単に、礙滞《こだわり》なく、至極男性的に、明白に処断されたのは勿論である。
一週間後、内務省参事官の一行が、道庁の警察部長を先導に乗込んだ時には、気抜した萎《いじ》けた被虐待者から、疑惑に満ちた冷眼で視られた丈で、一言の不平も、一片の希望も聴き取れずに引き上げた、而《そ》して本省への報告に、
「世間伝うる如き、所謂《いわゆる》監獄部屋の虐待惨酷は、精査の結果、之を認むる能《あた》わず」
[#地付き](〈新青年〉大正十五年三月号発表)
底本:「日本探偵小説全集11 名作集1」創元推理文庫、東京創元社
1996(平成8)年6月21日初版
1998(平成10)年8月21日再版
初出:「新青年」
1926(大正15)年3月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:noriko saito
2007年12月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
羽志 主水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング