工事場でも、関門連絡線工事場でも無い。往年《さきのとし》、鬼怒川《きぬがわ》水電水源地工事の折、世に喧伝《けんでん》された状況《ありさま》を幾層倍にして、今は大正の聖代に、茲《ここ》北海道は北見《きたみ》の一角×××川の上流に水力電気の土木工事場とは表向《おもてむき》、監獄部屋の通称《とおりな》が数倍判りいい、此世からの地獄だ。
 此所《ここ》に居る自分と同じ運命の人間は、大約《かれこれ》三千人と云う話だが、内容《なかみ》は絶えず替って居る。仕事の適否とか、労働時間とか、栄養とか、休養とかは全然無視し、無理往生の過激の労働で、人間の労力を出来る丈多量に、出来る丈短時間に搾《しぼ》り取る。搾り取られた人間の粕《かす》はバタバタ死んで行くと、一方から新しく誘拐されて、タコ[#「タコ」に傍点]誘拐者に引率されてゾロゾロやって来る。
 三千人の内には、自己の暗い過去の影から逐《お》われて自棄《やけ》で飛込んで来るのもあるが、多くは学生、店員、職工の中途半端の者や、地方の都会農村から成功を夢みて漫然《ぶらり》と大都会へ迷い出た者が、大部分だから、頭は相応に進んで居て、理窟は判って居ても、土木工事の荒仕事には不向だ。加之《そこへ》圧搾機械の様な方法で搾られるんでは、到底耐ったもので無い。朝、東の白むのが酷使《こきつかい》の幕明で、休息時間は碌になく、ヘトヘト[#「ヘトヘト」に傍点]になって一寸でも手を緩め様ものなら、午頭馬頭《ごずめず》の苛責の鉄棒が用捨《ようしゃ》なく見舞う。夕方ヤット辿り着く宿舎は、束縛の点では監獄と伯仲《おッつかつ》でも、秩序や清潔の点では到底《てんで》較べもので無い。監獄部屋の名称は、刑務所の方で願下げを頼み込むに相違ない。
 搾り粕の人間の窶《やつ》れ死は、まだまだ幸福な方で、社会―裟婆―で云えば国葬格だ。未だ搾り切れずに幾分の生気を剰《あま》して居る人間は、苦し紛《まぎ》れに反抗もする、九死に一生を求めて逃亡も企る。而も其結果は恒常《いつも》、判で捺した様に、唯一の「死」。其死の形式は、斬殺、刺殺、銃殺は寧《むし》ろお情けの方で、時には鬱憤晴し、時には衆人《みんな》への見せしめに、圧殺、撲殺、一寸試しや焚殺も行われる。徒党を組んだ失敗者は時に一緒に十五、六人|鏖殺《おうさつ》されたこともある。
 此世界では斯る男性的な、率直な方法が、何の障碍《こだわ
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