頸の部分、手拭の巻きつけてある工合や、頸に喰い込んでる有様等、詳細に観察した後、二三の質問を、警察医に発した。次に現場の踏査に移り、慎重に視察した揚句、署長にそう言って屍体のあった周囲《まわり》二メートル平方の広袤《ひろさ》を、充分に灰を篩《ふる》わせた。
「此屍体は、大学へ送って解剖に附することに仕ましょう。何《いず》れ明日に廻りましょうナ」
 署長の井澤《いざわ》さんは得々然《きをよく》して、
「マア此事件も大事《おおごと》にならずに済み相ですネ、犯人が、手拭が自宅の物だと自白はして居るし……」
「井澤さん、大事にならずに済み相だ事は私も同感ですが、犯人[#「犯人」に傍点]とか自白[#「自白」に傍点]とか云うのは如何ですか。夫れは此焼けた屍体が、他殺だと決った場合でしょう、今では、勝次郎が承認[#「勝次郎が承認」に傍点]したと云うべきでしょう」
「エッ之が他殺じゃ無いかも知れんと云われますか?」
「確定は解剖の結果に俟《ま》たなくては成らないが、今私一個の推定《かんがえ》では、他殺では無さ相です」
「ジャ自殺ですか」
「自殺とも思いません」
「そ、そんな、之丈証拠が揃って……」
「イエ、小生《わたし》は他殺でもなく自殺でも無い[#「他殺でもなく自殺でも無い」に傍点]、変死と思います、過失の為の火傷死でしょう。
 小生の左様《そう》考える訳は、屍体は煤や灰で、ひどく汚れて居るが、之を綺麗に払拭《はら》って視ると、肌の色が、屍体と思われないほど、鮮紅色《あかみ》がかって紅光灼々《つやつや》として居ることだ。
 色合の佳い屍体を視たら、先ずチャン化合物中毒か、一酸化炭素中毒を考えろと、法医学は教えて居ます。烟にまかれて死ぬのは、不完全燃焼で出来る一酸化炭素を、肺に吸込んで[#「肺に吸込んで」に傍点]其中毒で死ぬので、已《すで》に呼吸《いき》の無い屍体を、烟や火の中に抛り込んでも、此中毒は起しません。
 尚《また》、其外に、俯向《うつむけ》になって居る上面、即ち背中や腰の部分に、火傷で剥《む》けた所がありますネ、其地肌に暗褐色の網目形が見えます。之は小血管に血が充ちた儘で焼け固まった[#「血が充ちた儘で焼け固まった」に傍点]結果です、屍体の焼けたのでは、血の下方《した》に降沈《さが》った面には、有りますが、上ッ面には生《で》きない相です。
 私の推察が当ってるとすれば明日の解剖では、多分、血液《ち》は鮮かな紅色で凝固る性質を失って居る上に、一番素人にも判るのは、肺の中に煤を吸い込んで居る[#「肺の中に煤を吸い込んで居る」に傍点]だろうと思います」
 黙って聴いて居た署長は腹の中では、セセラ笑った。本草の通り代脉喋舌るなり[#「本草の通り代脉喋舌るなり」に傍点]、何がァ、本に書いてある通りに事実が出遇って呉れるなら世話は無い。第一、シャーロック・ホームズ見たいにお話をされるのが癪《しゃく》に障《さわ》って溜らぬ。
「確かに自宅で使用《つか》って居る手拭で頸を強く締めて深く喰い込んで居ても、未だ他殺で無いと言われますか」
 確かに痛い所へ命中《こた》えたろうと見ると、検事は案外平気な顔で、
「私は、確かに自宅で使ってる手拭だ[#「自宅で使ってる手拭だ」に傍点]と判ってるので安心したのです。之が他家《よそ》のでは又別に考え直さなけりゃなりません。
 あの手拭が頸に纏《まと》い就いてる有様《ようす》を巨細《よく》視て下さい。あの手拭は交叉して括っては無い[#「交叉して括っては無い」に傍点]。端からグルグル巻き付けた形になってます。活《い》きてる内は締まって居ず、死んでから締って来て、喰い込んで来たのです。換言《はやくい》えば軽く頸に巻きつけて置いた手拭は、其儘で、頸の方が火膨れに膨れて、容積《かさ》が増したから、手拭が深く喰い込んだのです。創国時《はじめ》のアメリカ人が蛮民だ、人道の敵だと目の敵にして、滅して了ったアメリカ印度人《インデアン》は、其実、平和の土着民で白人こそ、侵略的で人道の敵だったのと同じことです。
 手拭は自宅の物で宜しい、咽ッ風邪で、咽喉が痛むから、有り合せの手拭を水で絞って、湿布繃帯をしたのでしょう」
「然しネ勝次郎が邪魔払いなり、保険金なりの為に絞め殺して、直に放火して、大急ぎで越前屋迄往って、何喰わぬ顔して居るとも考えられませんか」
「夫れは、考えは何《ど》の様にも出来るが、事実とシックリ合うか否かネ、次に時刻ということが大事の問題になりますネ」
 此時焼跡から帰って来た巡査部長が白い布《きれ》の上に拡げた焼け残りのガラクタの中に、歪《ひず》んだ、吸入器の破片があった。
「想像ですが、喧嘩をして夫は飛出す。熱はある、咽はいたむ。湿布をまいて吸入をかけて居ながら色々思い廻して見ると口惜しく心細くなって来る。昔の癪、今のヒステリーの発作を起して痙攣ける。前後不覚でアルコールを蹴飛ばす。其内に燃え移った火や烟に責められて、初めて吾れに返って、逃げようとしたが、寒い晩で戸が閉じてあって出られずに、死んだとする。
 吸入器から火事を出すことは随分多く、病院では殊《こと》に之れに注意を払う習慣だそうです。
 要之《つまり》、火を出した時は当人は活きていて然も動けなかった[#「活きていて然も動けなかった」に傍点]のです。活きて居て初めから動ければ直に逃げる訳でしょう。ア、砂糖問屋の者を呼込んで下さい」

     (六)

 越前屋の二番番頭が始終の様子を知って居るというので出頭した。二十五六の小粋な男だ。
「ヘイ、今夜は勝次郎さんは何を置いても喜知太夫の三千歳は聞きに来る筈だ、気早なのに似合わず大分遅いと話してたら演芸放送に移ると間もなく来ました。最初は、吉住小三治の越後獅子でしたが、中途だったから挨拶もしませんし確な時刻は判りません」
 今度は辰公が訊問された。初めは発見者だから定めし賞めて呉れるだろうと思ってたのに、警官が大分高飛車に出たので大に感情を害してプリプリして居た。
「君は烟の出る窓の中で、咆《うな》り声を聞いた相だが確かネ」
「人間だか猫だか判らないが、兎に角咆り声を二度迄は聞きました」
「初めて烟を見付けた時刻は何時何分だネ」
「時計を持って居無いんで……」
「時計が無くても判るだろうが」
「夫れァ貴官《あなた》無理ですぜ、火事を見付けて、時計を見てから怒鳴るなんて、其様|箆棒《べらぼう》な話ァありゃしません。働いてから、紙屋さんの時計を見たら九時過でしたヨ。別な話だけれど震災の時だって、十一時五十八分テ事ァ後で、止った時計を見たり、人に聞いたりしたので、一人だってグラグラッ、ハハア五十八分かなんて奴は無かったでしょう。仮令《よしや》時計を見たって三十分も四十分も違ってるのが沢山《ザラ》だから駄目ですヨ」
「宜しい。井澤さん、此男の言う通り実際我国では、時刻の判然《はっきり》しないのには困りますネ、西洋では五分の違いで有罪と無罪と分れたという実例もありますが、左様は我国では参りませんネ、曾《まえ》に一高の教授が、曙町の自宅から学校迄の間の人家の時計を、二百六十とか覗いて見たが、正確な時刻を示してるのが、五ツだった、其上学校の時計台の時計が、正に二分遅れて居た相だ。口のよくない外国人が「日本には時計はあるが時が無い[#「時計はあるが時が無い」に傍点]」と云った相だ。時の会の宣伝も中々骨が……
 ウン君はラジオを聞いてた相だが、何を聞いて居たネ」
「何んでも越後獅子て云うんだが、彼れはネ、私の国では、蒲原《かんばら》獅子と云いますヨ」
「ウン蒲原獅子か、面白いネ。其の何所ン所だった、覚えて無いかネ」
「何処って云われても困るナ、浪花節なら大概判るんだが、モ一度聞けば判るんだが……」
「井澤さん楽器店から蓄音機と越後獅子のレコードを取り寄せて下さい。其の来る迄、次の室に控えさせて置いて、モ一度越前屋の番頭を調べたいのです」
 越前屋の番頭の証明によれば勝次郎は長唄が始まると直ぐ来たらしいが判然しない。只、確に憶えて居るのは、勝次郎は清元をやる丈あって長唄も多少は耳がある様子で、
「小三治さんは旨《うま》くなったネ。今の己《おの》が姿を花と見てという所の見[#「見」に傍点]をズッと下げて、てエエを高く行く所なぞ箔屋町(小三郎)生き写しだ」と評したのを覚えて居ると申立てた。
 間もなく蓄音機が持込まれ小三郎吹込みの越後獅子が始まった。一生懸命聞いて居た辰公、「うつや太鼓」から「己が姿」の件が夙《とく》に済んで「俺等《おら》が女房を賞めるじゃ無いが」
に来た時、ア、其処です其処ですと怒鳴った。
[#天から3字下げ]門並に延寿の話《かた》るやかましさ     (主水)
[#地付き](一九二六年十二月)



底本:「「新青年」傑作選 幻の探偵雑誌10」光文社文庫、光文社
   2002(平成14)年2月20日初版1刷発行
初出:「新青年」博文館
   1926(大正15)年12月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2009年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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