、杉の木を、上手にこなしてゐるところなぞ、まるでもう一人前だ。
昔イラムがソロモンの前で、
大きな杉やお寺の梁《はり》を、
上手に挽いたといふ時も、此の子程熱心はなかつただらう。
それに此の子のからだときたら、葦よりまつたくよくまがる。
鉞《まさかり》使ふ手|許《もと》ときたら、狂ひつこなし。※[#終わり二重括弧、1−2−55]

此の時イエスの母親は、鋸切の音に目を覚まし、
起き出でて、静かにイエスの傍に来て、黙つて、
大きな板を扱ひ兼ねた様子をば、さも不安げに目に留めた。
唇をキツト結んで、その眼眸《まなざし》で庇《かば》ふやうに、暫くその子を眺めてゐたが。
やがて何かをその唇は呟いた。
涙の裡に笑ひを浮かべ……
するとその時鋸が折れ、子供の指は怪我をした。
彼女は自分のま白い着物で、真ツ紅な血をば拭きながら、
軽い叫びを上げた、とみるや、
彼は自分の指を引つ込め、着物の下に匿しながら、
強ひて笑顔をつくろつて、一言《ひとこと》母に何かを云つた。
母は子供にすり寄つて、その指を揉んでやりながら、
ひどく溜息つきながら、その柔い手に接唇《くちづ》けた。
顔は涙に濡れてゐた。
イエスはさして、驚きもせず、※[#始め二重括弧、1−2−54]どうして、母さん泣くのでせう!
ただ鋸の歯が、一寸|擦《かす》つただけですよ!
泣く程のことはありません!※[#終わり二重括弧、1−2−55]
彼は再び仕事を始め、母は黙つて
蒼ざめて、俯き顔《かほ》に案じてゐたが、
再びその子に眼を遣つて、
※[#始め二重括弧、1−2−54]神様、聖なる御心《みこころ》の、成就致されますやうに!※[#終わり二重括弧、1−2−55]

[#地から4字上げ]千八百七十年
[#地から1字上げ]ア・ランボオ



底本:「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫、講談社
   1990(平成2)年9月10日第1刷発行
   2007(平成19)年1月10日第9刷発行
底本の親本:「中原中也全集 5」角川書店
   1968(昭和43)年4月10日初版発行
初出:「アルチユル・ランボオ・詩集 学校時代の詩」三笠書房
   1933(昭和8)年12月10日初版発行
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2−67)と「≫」(非常に大きい、2−68)に代えて入力しました。 
※ルビのうち括弧()付きのものは、底本の親本「中原中也全集」編纂者によるものである。
(例)羅馬《(ローマ)》
※底本では一行が長くて二行にわたっているところは、二行目が1字下げになっています。
※(1)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:オーシャンズ3
校正:L.P.S.
2009年4月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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