のものかな? 何しろあれほどの品であるからには、名門出の富豪連中がまだ質屋へものを曲げにやるまでにならず、何かひどく金のいるような時には、むしろこのマーシェンカの親父さんみたいな内密の高利貸の手に、財産を委託する方を快しとした、そんなふうの天下泰平な大むかしから、秘蔵されているものらしいな」と、まあそんなことを考えた次第なのさ。
その真珠は大粒で、ふっくらと円みがあって、ひどく冴え冴えした色気のものだった。のみならず首飾りの作りは、いかにも昔風の好みで、いわゆるルフィール型とか瓔珞《ようらく》型とか呼ばれるあれだった。――つまり背後のところは、小粒ながら一ばんまん円なカーフィム真珠でもって始まって、だんだん大粒になるブルミート真珠がそれにつづき、やがて下へ垂れるあたりになると大豆ほどの粒がつらなって、最後のまん中の部分には三粒のびっくりするほど大きな黒真珠が、群を抜いて美しい光耀《かがよい》をはなっている、という仕組みなのだった。この見事でもあり高価でもある贈物の前に出ては、うちの弟のプレゼントなんかは月夜の星も同然、すっかり気おされてしまった。手みじかに言ってしまえば、われわれむくつけき男連中は、一人のこらずマーシェンカの親父さんの贈物を素晴らしいと思い、おまけにその首飾りを渡すにあたって老人の述べたことばまでが、気に入ったという始末だった。つまりマーシェンカの親父さんは、その重宝《じゅうほう》を娘にかけてやってから、こう言って聞かせたのだ、――『さあ娘や、これをお前に上げる。ついでに呪文を附けておこうね、――この品は錆も朽ちさすことなく、ぬすびとも奪うことなく、まんいち奪うたとしても、かならず業報あり。これは、とこしなえじゃ』とね。
ところが婦人れんになると、何につけてもめいめい小うるさい一家言をもちだすものだし、当のマーシェンカなどは、首飾りをもらってから、さめざめと泣きだしたものだった。僕の家内にいたってはなんとしても腹の虫を抑えかねて、うまい機会をつかむと、早速ニコライ・イヴァーノヴィチを窓のところへ引っぱって行って、文句を並べ立てさえしたものだ。相手はまあ親類のよしみで、おしまいまで我慢して拝聴していたがね。なぜ真珠を贈物にして文句を言われたかというと、つまり真珠というものはなみだ[#「なみだ」に傍点]の象徴でもあり前兆でもあるというのだ。だから真珠
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