の底のへんに畳《たた》なわっている有様は、一日一晩オーヴンの中へ入れっぱなしで醗酵させた麦粥にことならず、――だからつまり、書く物のなかへだって、ぐつぐつと濃く出てくるのは理の当然である。ところで今日じゃ、そうした一切が鉄道式のテンポで運ばれるのだ。皿を手にとる――問答無用である。口へ抛り込む――噛むなんて暇はない。ジリジリジーンと発車のベルが鳴りだせば、もうそれで万事休すだ。汽笛一声、またポッポッポと出てゆく。そして残る印象といえばせいぜい、ボーイが釣銭をちょろまかしおったということぐらいなもので、そいつを腹の虫のおさまるまで取っちめてやろうにも、今や時すでに遅しなのである」しかじか。
すると客の一人が乗りだして、なるほどピーセムスキイの見方は一応おもしろいが、惜しむらくは当っていないと言い、ディッケンズの例をもちだした。この作家は、すこぶるスピード旅行のはやる国でものを書いたのだが、それでいてその見聞も観察もなかなか豊富で、その小説の筋には、別段これといった内容の貧寒さは見られないではないか、というのである。
「もっともこれは、彼の書いたクリスマス物語だけは例外じゃあるけれどね。勿論あれだって立派なものにちがいないが、なんといっても単調なところがある。とはいえ、作者の罪を鳴らすのは不当だよ。なにしろあれは、形式があんまり固くきっちりと決まっていて、作者が身うごきのとれない感じのする、そんな文学上の一ジャンルなのだからね。いやしくもクリスマス物語と名乗る以上は、ぜひともクリスマスの晩におこった出来ごと――つまり御降誕から洗礼祭までに起った事件をあつかわなけりゃならんし、それにまた、ある程度まずファンタスティクたることを要するし、なんらかの教訓(よしんばそれが、有害なる迷信を打破するといった性質のものにしてもだ――)を含まなければならんし、も一つおまけに、是が非でもめでたしめでたしで終らなければならんのだ。ところが人生には、そうしたお誂えむきの事件はまことに少ないのだから、作者は否でも応でも、その註文にあてはまった筋書をひねり出したり、でっち上げたりしなければならん羽目になる。だからつまりクリスマス物語には、作為の跡だの単調さだのが、ひどく目につくことになるのさ。」
「なるほどね。だが僕は、必らずしも君のその見解には賛成できないね」と、三人目の客がそれに応じた。こ
前へ
次へ
全21ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
レスコーフ ニコライ・セミョーノヴィチ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング