は、すっわり目をまわしてしまった。彼としては、こうも手っとり早く大詰が来ようとは、夢にも思いもうけぬことだったのだ。自分の身に最初の暴力が加えられた瞬間、その下手人がげんざいのわが妻であればあるだけ、さてはこの女め、このおれから自由になろうためなら、手段をえらばぬ必死の覚悟だな、と直覚して、これは容易ならんことになったわいと、咄嗟に感じたのであった。ジノーヴィー・ボリースィチは、そうした一切のことに、倒れる刹那ぱっと思いあたったのだったが、さりとて悲鳴ひとつあげなかったのは、声を立てたところでどうせ誰の耳にもとどきはすまい、みすみす断末魔を早めるのが落ちだと、見当がついたからである。彼は無言のまま、一わたりあたりを見まわすと、その両眼に怨むような咎めるような苦しみ悶えるような色をうかべ、現に自分の喉もとを細っそりした指でぐいぐい絞めつけている妻の顔を、じいっと見つめた。
 ジノーヴィー・ボリースィチは、べつに抵抗しなかった。両の腕は、ぎゅっと握りこぶしを固めたまま、床べたに伸びきって、時どき引っつるようにぴくついていた。片っぽは全く自由だったが、のこる一本はカテリーナ・リヴォーヴナの膝
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