た。両手で膝をかかえたまま、彼は一心にじぶんの長靴をみつめていた。
まさに一刻千金の良夜である! 静けさ、ほの明り、かぐわしい花の匂い、それにまた、人の心をよみがえらせ力づける仄温かさ。……庭の裏手の、窪地をへだてた遥かかなたで、どこかの男がよく透る声で唄いはじめた。垣根のそばの、匂《におい》ザクラの茂みでは、夜鳴きウグイスがまずそっと小手調べをして、やがてのどいっぱいに囀りはじめた。高々とそびえる竿のうえの鳥かごでは、ねぼけたウズラが何やらぼそつきだすし、馬屋の壁のなかでは肥えふとった馬が一匹、いかにも切なそうな鼻息を立てる。かと思うとまた、庭の垣根の向うにひろがった牧場を、浮き浮きした犬の群がもの音ひとつ立てずに駈け抜けて、今では廃屋も同然の古い塩倉の描きだす、あやしげな恰好をした黒い影のなかへ消え失せる。
カテリーナ・リヴォーヴナは、片肘たてて起き返ると、高だかと伸びた庭の草を眺めわたした。その草もやっぱり、木々の花や葉並みにさんさんと砕けちる月光のきらめきと、しきりに戯れている。例の気まぐれな明るい斑らが、草を一本一本金色に染めあげて、それでもなお足りずにそのうえにちらつい
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